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スポーツ 2015年04月28日 15時00分
俺たちの熱狂バトルTheヒストリー〈ヒクソン・グレイシーvs高田延彦〉
今となっては“世紀の激突”とも称される1997年10月11日の『PRIDE1』。ヒクソン・グレイシーと高田延彦の一戦だが、当時のファンの関心は、さほど高くなかった。 主催者発表では「観衆4万6863人」とされたものの、当日の東京ドームには空席も目立つありさま。新日本プロレスの大会ならば、常に超満員が当たり前の時代である。 「プロレスや格闘技の専門誌でも、この試合を盛り上げようという気運は薄かった。主催のKRSは“元・小室哲也のスーパーバイザー”なる人物が代表を務める格闘畑とは無縁の組織で、これを宣伝することは既存団体への裏切りに当たるという考えがあったのです」(格闘技ライター) 高田の立ち位置も、どこかはっきりとしなかった。 '92年、UWFインターナショナルの旗揚げ後には北尾光司やスーパー・ベイダーを撃破して「最強」を名乗ったものの、'95年には「近い将来の引退」をリング上から宣言。その直後には参院選に出馬し、落選。新日本との対抗戦では新日勢や天龍源一郎らと勝った負けたを繰り返し、Uインター末期にはアブドーラ・ザ・ブッチャーと対戦するなど、いわば“格闘風プロレス”の色合いを濃くしていた。 Uインター解散後、所属選手らの立ち上げた新団体『キングダム』にも正式参加はせず、現役選手であるのかどうかも含めてあやふやだった。 片やヒクソンはバーリトゥードジャパン大会で連戦連勝。高田と同じUインターの安生洋二を道場で血祭りに上げるなど、その確かな実力は格闘ファンの間に浸透していた。 当時、プロレスラーのバーリトゥード挑戦においては“ケンカ最強”といわれたケンドー・ナガサキが一敗地にまみれるなど、苦戦が続いてもいた。 「それでも、まだプロレスファンの間では“一流選手なら勝てる”との思いが強く、そのため高田をプロレス代表として応援するというよりも“ヒクソンにとっての試金石”ぐらいの認識が主流でした」(同・ライター) 高田の入場曲『トレーニングモンタージュ』が場内に響き、リングに上がった高田はヒクソンに一礼。セコンドの安生と長く抱き合っていた。 後に高田はこのときの心境を「死刑台に上るようだった」と語っている。 ヒクソンの強さへの畏怖はもちろんだが、加えて主催者の都合から試合開催そのものが二転三転したために精神面でも前向きになれず、また練習中には腰を痛めるなどアクシデントもあったという。 だが、それらが皆目言い訳にならぬほど、バーリトゥードという試合形式においてのヒクソンと高田の実力差は圧倒的だった。 アップライトの構えで顎を上げ、挑発するかのように前に出した脚を踏み鳴らすヒクソンに対し、高田はその周りをグルグルと回るばかり。ときおりキックを放つようなアクションを起こすが、これにヒクソンは全く動じない。 そんな膠着状況に「耐え切れない」とばかり高田が組みかかり、両者もつれるようにマットに倒れ込むと、そこから立ち上がろうとする高田の脚をすかさず捉えたヒクソンは、一息に抱え上げてテイクダウン。 高田は下からヒクソンの頭を抱え、脚を絡めて懸命にマウントポジションを防ごうとするも、ヒクソンはその一つひとつに冷静に対処していく。 そうして高田を制圧したヒクソンはセコンドに時間を確認すると、5分間のラウンドが残り25秒となったところで腕十字固めを仕掛けた。残り時間がそれぐらいならば、万が一、技を返され不利な体勢になったとしても、しのぎ切れるという計算ずくの攻撃だった。 試合後、アントニオ猪木は「一番弱いヤツが出て行った」と高田の敗戦を斬って捨てた。これには「高田最強」とは認めていないファンですら「負け惜しみなのか業界擁護のためなのか、いずれにしても妙なことを言う」と首を傾げるしかなかった。 だが猪木からすれば、この結果によってプロレス界の危機を感じた故の言葉であり、その感性の正しさは程なく「プロレスラーの連戦連敗」という形で証明されることになった。
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社会 2015年04月28日 14時00分
習近平が大粛清 いま中国軍内部で起きていること(2)
また、米CIA筋の関係者がこう語る。 「国家主席就任が確実視された'12年8月には、習氏が出席予定の共産党指導部の会議室から時限爆弾が発見され、前後には毒殺未遂事件も起きている。まさに暗殺計画はこれまでにも、スレスレで回避されてきたと言えるのです」 一説には、こうした暗殺未遂事件の多くは、江沢民元国家主席の流れを酌む周永康前政治局常務委員が指示していたともいわれてきた。その同氏が昨年12月に収賄罪で摘発されたことから、一時はこの動きも鳴りを潜めるかとも見られたが、実情は全く逆の様相を呈しているのだ。 「軍部とは別に、共産党内にも粛清された江沢民一派や胡錦濤一派の怨念が渦巻いている。汚職撲滅を掲げ、政敵を次々と殲滅している習氏が、出身派閥ともいえる太子党官僚の汚職にフタをし続けているからなのです。そのため、党内には『徐氏は病死ではなく暗殺された』『今こそ正義の知略(クーデター)を振るうべきだ』との声が渦巻いているのです」(前出・CIA筋関係者) もっとも、習氏もこうした動きは織り込み済み。自らの危険を回避するために、ここにきて急速に身辺警護を強めているという。 前出の特派記者がこう明かす。 「習氏は昨年暮れから年明けにかけて警護隊の大幅な人事刷新を行い、腹心部隊で固めたのです。その筆頭が北京軍区全体の統括トップに任命された宋普選氏。また、北京軍区の中でも習主席や党幹部らが居住する中南海を護る司令塔に藩良時氏、中南海警備部隊のトップに王寧氏を就任させた。さらに北京管区の武装人民警察のトップに王建平氏を任命。これら重要ポストの大半は、習氏が中国トップに上り詰めるきっかけとなった浙江省共産党委書記時代の腹心ばかりなのです」 また、習氏の過剰な自衛ぶりはこれだけではない。この3月には、中南海と「全国人民代表大会」の特別警護を任務とする党中央弁公庁警衛局のトップである曹清局長を、いきなり解任。副局長を後継に就任させたほどなのだ。 「実は、この突然の人事刷新の裏には、警備局内で画策されたクーデターが発覚したためともいわれている。曹氏がこれに関与していたかは判然としないが、今では習主席は党や警察、軍の幹部らに強い不信感を抱いており、食事の際には毒見をさせているとの噂も噴出している。また、地方視察の際にも当日に警備陣の総入れ替えをしたり、移動ルートの変更も少なくないのです。そのため、さらなる危険を冒してでも、軍部の掌握に手を付けたと見られている。習氏にしてみれば政敵の排除は、もはや戦争と同じなのです」(前出・中国軍に詳しい事情通) もしもこれが事実なら、攻防戦はまだまだ続くはず。習近平主席が“返り血”を浴びる日は、そう遠くなさそうだ。
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スポーツ 2015年04月28日 13時00分
「前半戦絶望」情報が流れるソフトバンク・松坂大輔「右腕の重傷度」(2)
松坂不在でも、工藤ホークスはびくともしない。先発陣は攝津正、スタンリッジ、中田賢一、大隣憲司、武田翔太らがおり、救援陣も森福允彦、飯田優也の両左腕をはじめ、サファテ、森唯斗など、バラエティーに富んだスタッフが控えている。 こうした戦力層の厚さがあったからだろうが、工藤監督は松坂の調整遅れについて質問される度に、こう答えてきた。 「時間がかかってもいい。しっかり投球ができる態勢ができるまでは…」 その方針は“右腕の異常”が報告された後も変わっていないという。工藤監督自身、左肩や肘の故障で長期離脱した経験があり、それを乗り切ったからだろうが、こんな見方もある。 「松坂と交渉に入る前の編成会議で、大半が復活に悲観的でした。それを一変させたのは王貞治会長でした。王会長は松坂獲得が可能であることを孫正義オーナーに報告し、了承を取り付けました。このまま復活できなければ、王会長に恥をかかせることになる」(在阪スポーツ紙記者) 松坂も王会長の立場はわかっている。高額年俸で入団した責任感もある。先発投手として輝きを取り戻す自分自身に、期待していた面もあっただろう。 だからこそ、開幕一軍メンバーから外されることが決まった途端に“ブルー”になり始めた。 「開幕一軍の夢が破れたショックでしょう。同時に日本球界に復帰しても、アメリカと変わらない二軍暮らしの現状に打ちのめされたようです。向こうでもマイナー暮らしが長く続いたため、精神面でもつらい思いをしていましたから」(ホークス担当記者) 不振の原因は、これまで投球フォームの乱れとされてきた。メジャーの固いマウンドと投げ込み量を減らす調整法が合わず、上半身だけで投げるフォームに落ちぶれてしまったわけだが、ホークス入り後、2つ目の不振原因も判明した。 「ストレートには往年のスピードはなく、変化球もウイニングショットにならない。カーブ、シュート、スライダーはどれも平均点。バッターに狙い球を決められたら、それでおしまい」(ライバル球団スコアー) これは、オープン戦2度目の登板(対巨人/3月10日)の際、各球団スコアラーが口にしていたもの。広島カープの黒田博樹は新兵器・ツーシームを引っ下げて帰還し、他球団の偵察部隊を悩ませた。同じメジャー帰還投手でも、松坂は相手チームに脅威を全く与えられなかったのだ。 「オープン戦での不振を首脳陣に聞かれたとき、松坂は『想定内』みたいな返事をしていました。その場では注意されませんでしたが、あんな物言いをしていたら、今の右腕の異常も自己責任ということになりますよ」(前出・球界関係者) 優勝を狙う以上、工藤監督に温情はない。松坂のことを『平成の怪物』と呼ぶ者は、もういない。
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芸能 2015年04月28日 12時00分
堺雅人主演『 Dr.倫太郎』の初回視聴率に微妙な空気の日テレ
今クールの大本命作ともいわれる堺雅人(41)主演のドラマ『Dr.倫太郎』(日テレ)がスタートし、初回視聴率13.9%を記録したが、日テレ局内は何とも微妙な雰囲気に覆われているという。 「日テレが'15年度の年間&年度視聴率三冠王を狙う必殺のコンテンツとして制作したのが『Dr.倫太郎』。通常、1本あたり2000万円で制作する日テレが、今回は5000万円以上も投入したんです。それなのに、いざフタを開けてみたら、前枠で放映されていた柴咲コウ主演『○○妻』の初回視聴率14.4%にも及ばなかった」(関係者) 破格なのは出演料も同様だ。 「俳優や女優に対し、テレビ界一シビアで知られる日テレが、今回に限り堺のギャラをいきなり200万円で交渉したんです。TBSは400万円、フジが350万円であることを考えれば、やはりリーズナブルな金額に違いないのですが、これまでの実績を考えれば140万円がいいところ。それをいきなり200万円と提示したことで、即決で決まったそうです」(関係者) 日テレ上層部が落ち込む理由はこればかりではない。放映前から散々比較されていた木村拓哉主演のドラマ『アイムホーム』(テレ朝)の初回視聴率16.7%にも遠く及ばなかったのだ。 「『心がポキッとね』(フジ)は鼻っから相手にはしていなかった。だが、『アイムホーム』に約3ポイント近くも差をつけられるとは想像もしていなかった。いい勝負かなと読んでいたんです。あくまでも目標は今クールのナンバー1ドラマ。収録していない4話以降の脚本を大幅に変えるなど、大工事に着手しています」(日テレ関係者) 日テレが目標とする視聴率バーは15%だという。堺は木村に倍返しできるか!?
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スポーツ 2015年04月28日 12時00分
【記憶に残るプロ野球選手】第2回・代打屋稼業貫いた“浪速の春団治”川藤幸三
プロ野球界で脚光を浴びるのは、必ずしもスタープレーヤーだけではない。ベンチを温める控え選手でも、“記憶”に残るプレーヤーがいるのだ。そのひとつが、“代打屋”だ。 代打屋といえば、古くは高井保弘(阪急)、大島康則(中日→日本ハム)、淡口憲治(巨人→近鉄)、川又米利(中日)、藤波行雄(中日)といった面々が頭に浮かぶ。高井はパ・リーグで指名打者制が採用されたことによりレギュラーとなり、大島は外野から三塁へのコンバートをきっかけに日本を代表する長距離砲となった。 近年では、八木裕(阪神)、桧山真次郎(阪神)、浅井樹(広島)、町田公二郎(広島→阪神)、立浪和義(中日)、前田智徳(広島)らが記憶に新しいところ。立浪や前田は通算2000安打も達成した名選手だったが、晩年は代打の切り札として活躍した。 現役では、小笠原道大(日本ハム→巨人→中日)が、その筆頭だろう。昨季は、ほぼ代打のみで3割の好打率をマーク。今季もまた、高い成功率を誇っている。小笠原もまた2000安打を達成した後、代打屋に転向した例だ。立浪や前田、小笠原のように、スタープレーヤーとして活躍した後、若手にレギュラーの座を譲って、晩年に代打専門になった選手もいるが、現役生活のほとんどを代打屋として活躍した選手もいる。そのなかで、最も記憶に残る選手が、“浪速の春団治”こと、川藤幸三(阪神)だ。 川藤が19年における現役生活で残した生涯成績は、771試合出場、895打数211安打16本塁打108打点、通算打率は.236。正直、大した成績を残していないにもかかわらず、ファンの心に深く刻み込まれた選手だったのだ。イメージ的にコテコテの関西人の印象がある川藤だが、意外にも出身は北陸の福井県出身。県立若狭高等学校時代には2度、甲子園に出場。高校時代は投手、遊撃手、外野手としてプレーした。67年にドラフト9位で指名され、阪神に入団。その指名順位が示すように、決して大きな期待を受けてのプロ入りではなかった。 入団後は外野手としてプレー。晩年では考えられないことだったが、当時は俊足、強肩を売りにした選手で、事実、2年目の69年にはウエスタン・リーグで盗塁王を獲得している。当初は守備固め、代走での起用が多かったが、73年から出場機会も増え、74年には自己最多の106試合に出場し、レギュラーへの足掛かりをつかんだ。 しかし、75年にアキレス腱断裂の大ケガを負ったことで軌道修正を余儀なくされる。それまで、川藤の売りだった足を故障したことで、活路を見出したのは代打屋稼業。もともと、1軍での打撃成績は良くなかったが、猛練習の末、78年から4年連続で打率3割をマークするまでになった。その言動やキャラクターから、人気も上昇。控え選手ながら、阪神には欠かせない存在となっていったのだ。 83年オフには球団から戦力外通告されるも、「給料はいくらでもいいから野球をやらせてくれ」と懇願。当時の最低保証年俸で契約して残留し、前年を上回る成績を収めて、球団上層部に認めさせて、85年には年俸も元の金額に戻した。 同年は阪神のセ・リーグ優勝、日本一に貢献。現役生活最後の年となった86年には、吉田義男阪神監督の粋な計らいで、監督推薦でオールスター戦に初出場。左中間に長打性の当たりを打ち、二塁を狙うも、鈍足のため楽々とアウトにされたシーンは伝説となっている。オールスター戦出場を花道にするように、同年限りで引退。残した通算代打成績は、318打数84安打11本塁打58打点、打率.264だった。 引退後は解説者となったが、技術的なことを実況アナウンサーから聞かれても、「ワシには分からん」といったような受け答えが多く、解説者としての適性に欠くシーンもしばしばあった。90年、中村勝広が監督に就任すると、外野守備コーチとして阪神に復帰。翌91年には総合コーチに昇格したが、与えられた役割は現役時代同様、ベンチのムードメーカーだった。同年を最後に阪神を退団し、その後は評論家、タレントとして活動。05年には夫人の父親が経営していた建設会社の後を継ぎ、社長としての顔ももっている。 むずかしいことはいわず、豪放らい落。関西人にこよなく愛された川藤は、阪神OB会長職も務める。レギュラーではなく、代打屋としてまっとうしたにもかかわらず、これだけのインパクトを与えた選手は、そうはいないだろう。決して、スタープレーヤーではなかったが、川藤もまた伝説に残っている選手だ。(ミカエル・コバタ=毎週火曜日に掲載)
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芸能 2015年04月28日 12時00分
あまちゃん・能年玲奈に独立騒動が浮上
13年放送のNHKの朝ドラ「あまちゃん」のヒロインで大ブレークした女優の能年玲奈に所属事務所からの独立騒動が浮上していることを、発売中の「週刊文春」(文芸春秋)が報じている。 同誌によると、能年と所属事務所の“確執”が決定的になったのは、「あまちゃん」がクランクアップした13年8月。それまでも、能年は月給5万円の薄給で、マネージャーが次々と代わるなどして事務所への不信感を募らせていたというが、事務所でのミーティングでチーフマネージャーが能年に「玲奈の態度が悪いから、オファーが来てない。仕事は入れられないよね」、「今後は単発の仕事しか入れられない。長期(連続ドラマなど)は入れられない」などと“通告”。さらには、同時期に今年二部作で公開される映画「進撃の巨人」のオファーを断ったという。 それもあって事務所への不信感が頂点に達した能年はヒロイン役で出演した映画「ホットロード」の撮影を終えた昨年1月、担当マネージャーに、「事務所を辞めたいです」とメールを送り、同3月には正式に文書で事務所を辞めたい旨を伝達。その後、複数回にわたって事務所との面談が行われたが話し合いがまとまらず、ついに今年1月、能年の身の回りの世話をしていた、“親代わり”とも言える人物が役員に入り、能年が社長をつとめる事務所が設立されたというのだ。 さらに、同誌が都内で能年を直撃すると、記者が「能年さんは仕事を断っているのですか?」と声をかけると、能年は記者に向き直り「私は仕事をしてファンの皆さんに見てほしいです。私は仕事がしたいです」と訴えたというのだ。 「新事務所設立の件はネットに書き込まれて広がり、ここに来て複数のメディアが報じていた。このままだとオファーが来ないので、ほかの事務所に移籍するしかないが、能年を迎え入れ、きちんと仕事をさせるぐらいの業界的なパワーがあるのは、『あまちゃん』で能年の母親役をつとめた小泉今日子が設立した個人事務所ぐらいなのでは」(芸能記者) 今後の能年の動向が注目される。
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芸能 2015年04月28日 11時45分
ビートたけし 8.6秒バズーカーへの「バカ大学の文化祭」酷評を否定「悪口じゃないよ」
8.6秒バズーカーのリズムネタ「ラッスンゴレライ」に対して、「バカ大学の文化祭」と評価していたビートたけしが27日、日本テレビ「しゃべくり007」に出演し、悪口ではないと否定した。 3月8日に放送されたTBS「北野演芸館9〜たけしが本気で選んだ芸人大集結SP〜」で8.6秒バズーカーは大人気ネタ「ラッスンゴレライ」を披露。彼らの芸を見たたけしは「バカ大学の学園祭」とコメントしていた。 「しゃべくり007」では、「孫娘がもし結婚したい人で、連れてきたのが8.6秒バズーカーだったら?」と質問されると、「殺すね」とジョークを飛ばしたたけし。番組後半では、たけしがおそらく会いたくないであろう人を勝手に調査して集めたスペシャル企画「たけしが会いたくない人」を実施し、逆風の中、8.6秒バズーカーが登場した。8.6秒バズーカーの田中シングルは、たけしのコメントについて「愛のある感じだと思っていた」と心境を明かし、「認めて頂きたい」と懇願した。 その言葉を受けて、たけしは「よ〜くネタ見てないのかもしれない」と若干反省。絶好のタイミングで8.6秒バズーカーは「ラッスンゴレライ」を生披露したが、たけしは真顔で一回も笑うことはなかった。 ただ、「これをずっと営業でやるわけ? すげーなー」と驚いており、「バカ大学の文化祭」と評価したことにネット上では悪口や酷評と表現されていたが、「いや、悪口じゃないよ。だって、バカ大学の学園祭ってそれでドッとウケたらいいじゃねぇかって」と否定。 「普通の漫才やってて、隠し芸的に今売れているヤツ(ラッスンゴレライ)をやる体制の方がオレは良いと思う」とアドバイスした。
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芸能 2015年04月28日 11時45分
“ブス専”のビートたけし “今一番気になる女性芸能人”は剛力彩芽「スゴい可愛い目してる」
お笑い界の重鎮・ビートたけしが27日、日本テレビ「しゃべくり007」に出演し、“今一番気になる女性芸能人”に若手女優の剛力彩芽の名前を上げた。 女性のタイプについて「ブス好み」と紹介されたたけしは、「ブスは親切だから」とブス専をあっさり容認。ただ、「一応顔なんだけど…キレイなら良い」と明かし、好みのスタイルは「ぽっちゃり」と恥ずかしそうに答えた。 そして、気になる女性芸能人について、「可愛いと思ったのは剛力さん。あの娘、スゴい可愛い目してるなって」とべた褒め。以前、イタリア料理店でオスカープロモーション会長から剛力を紹介され、「それで印象にずっと残っている」と明かした。 ちなみに、“お笑い怪獣”の明石家さんまも剛力彩芽のことを気に入っており、フジテレビ「FNS27時間テレビ」の恒例企画「ラブメイト10」では、2013年と2014年で1位に輝き2連覇を達成。“お笑いBIG3”の内、2人も虜にしてしまう剛力の女力…恐るべし!
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アイドル 2015年04月28日 11時45分
AKB48の面倒くさいキャラ・佐々木優佳里 中学生時代は明るいムードメーカーだった!?
アイドルグループ、AKB48の佐々木優佳里がGoogle+で自身が中学2年の時のクラスメートから書いてもらった「ゆかりの良い所」を披露した。 「やさしい」「きれい」「まじめ」と言葉とともに、「明るい」「ムードメーカー」「さわやか」「ノリが良い」というものも。AKB48での佐々木といえば、あまりにもマイナス思考から、「面倒くさいキャラ」として話題になることが多い。ファンからは、「明るい子だったんだ!」「ムードメーカーは意外」と驚きの声が挙がった。ただ、佐々木は、明るかったと書かれたことに関して、「わたし明るい印象だったのかな。笑笑笑」と不思議がるも、「明るくないよー多分趣味とか好きなことについて話すと明るくなるタイプ。笑それをみていたんだろう。笑」ともコメントしている。 ちなみに、「ゆかりの良い所」の中には、「男子の人気者」や「まじで美人 女子でもほれちゃう〜」という言葉も見える。さすがに、将来、アイドルになる佐々木だけに、クラスでも目立っていたようだ。※記事の画像に誤りがありました。訂正してお詫び致します。
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アイドル 2015年04月28日 11時45分
山田菜々 フォトブック発売記念イベントでポンコツぶりを発揮
4月3日にNMB48を卒業した山田菜々が、27日フォトブック「山田菜々 4+3=7」の発売記念イベントに出席。 撮影について、「(NMB48を)卒業したら水着も、制服も着る機会が無くなるかもと思って最後かなぁと思って撮影しました。特にセーラー服は、そんな思いが強かったです」と話し、「でもさすがに恥ずかしかったです」と撮影を振り返った。 4+3=7(よんたすさんはなな)というタイトルに、「タイトルを決める時にめっちゃ悩んでたら、マネージャーさんがポンと言ってくれたんです。4月3日生まれで、NMBの時のキャッチフレーズでもあり、4月3日に卒業したので」と話し、「マネージャーさんが考えたですね? 」との問いに、「そうなりますね」と会場を笑わせた。 卒業後の生活に、「今はお休みもあるので、(時間が有りすぎて)何をしたらいいか分からなくて、お昼の1時まで寝たりしています」と現在の生活を話していた。また、NMB時代からよく寝坊していたと話し、「今は(メンバーが)起こしてくれないのでそれが一番不安です」とポンコツぶりをアピール。 卒業後、東京で一人暮らしを始めたことについて、「東京はとにかく道が多くて、ナビを使ってもわからない」、「ゴミ出しがこんなに大変だと思わなかった」と苦笑い。 今後の目標については、「テレビに沢山出たい、YOUさんみたいにオンリーワンな人になりたい」と目を輝かせていた。
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