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芸能 2015年04月15日 14時45分
哀川翔が辰巳琢郎から突っ込まれた! 「爺さんみたいだね」
俳優の哀川翔、辰巳琢郎、料理家の青山有紀氏、坂井宏行氏が15日、都内にて、試飲会イベント「『ネスカフェ ゴールドブレンド コク深め』プロデュース『コクと香りの美食会』」に出席した。 ネスレ日本は、3月1日新発売の「ネスカフェ ゴールドブレンド コク深め ボトルコーヒー」が、坂井氏が自身のレストランでも実際に提供するプロの味わいであることを伝える新TVCMを4月18日から全国で放送開始する。 イベントでは、坂井シェフが考案した特製の“コク深ラテ”らが振る舞われた。哀川は気に入った様子で、「うち、お客さん多いから」と早速、“買い置き宣言”。モーニングコーヒーにもぴったりとの話題が出ると、「朝が早いからね。今日も、4時でした」と哀川は早起きの習慣を紹介。辰巳から「そんな早起き? 爺さんみたいだね」と突っ込まれ、「爺さんって…、子どもみたいって言って下さいよ」と返し笑いを誘った。(竹内みちまろ)
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レジャー 2015年04月15日 14時30分
キャバ嬢が生まれる瞬間(41)〜歯の治療のためキャバ嬢になった女〜
荻上南(仮名・22) 私は幼い頃からそこまで歯磨きをする方ではなかったのだけど、それでも虫歯の数は少なかった。でも高校を卒業後、友達の誘いで風俗で働くようになってから一気に虫歯が増えた気がする。友達に聞いたら虫歯は職業病なんだって。 私は知らない人との身体の触れ合いは、仕事と割り切ることができたのだけど、虫歯になるのは本当に嫌だった。おそらく虫歯菌を持った客とディープキスすることで、移ってしまうのだと思う。気がつくと奥歯に穴が空いていて、歯医者に駆け込んだ。そして医者からはすでに虫歯が13か所にいあると言われた。半年前に行ったときはそこまでなかったのに。 奥歯はけっこう深いところまで侵食しているらしく、抜くことにした。でもその後、奥歯で食べ物を噛めないことで、顔の輪郭が変わったような気がしたし、とても不安だったな。その時、歯の大切さを知ったよ。あと私は八重歯が生えているのだけど、裏側が磨き辛く、虫歯が特に悪化していた。その部分も抜くしかなくなったのだけど、当時私は歯の治療中ということで風俗は休止。だからお金もなく、安い治療でお願いしますと頼んだの。 歯を抜かれる間、私は目を瞑っていて、終了後にいざ目を開けた。すると前歯の2本が銀歯にされていたんだよね。何も聞かされていなかった。私の歯は八重歯で隠れているとはいえ笑うと目立つし、もう口を開けるのも怖くなってしまった。すぐに歯医者さんに白い歯に変えてもらうように伝えたのだけど、セラミックは大金がかかるらしい。そんなお金はもちろんなかった。 だけどお金を稼ぐために風俗を再開したら、また菌を移されて悪化する恐れがある。だから収入は下がるけど、キャバクラで働くことを決意した。キャバならトークがメインだし、客とキスすることもない。今は、とりあえず真面目にキャバで働いて歯の治療することが目標かな。他にも虫歯がたくさんあるから、白い差し歯を入れて、思いっきり笑えるようになりたいです。(取材/構成・篠田エレナ)
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社会 2015年04月15日 14時00分
森永卓郎の「経済“千夜一夜”物語」 古賀氏の「自爆テロ」が意味するもの
3月27日のテレビ朝日『報道ステーション』で、コメンテーターとして出演していた古賀茂明氏が、言論による「自爆テロ」を行った。司会の古舘伊知郎氏がイエメン情勢を伝えるVTRの後で、古賀氏にコメントを求めたときに事件は起きた。 古賀氏が次のように答えたのだ。 「私、今日が最後ということで、テレビ朝日の早河会長とか、あるいは古舘プロダクションの佐藤会長のご意向で、私はこれが最後ということなんです。これまで非常に多くの方から激励を受けました一方で、菅官房長官をはじめ、官邸のみなさんにはものすごいバッシングを受けてきましたけれども、それを上回る皆さんの応援のおかげで、非常に楽しくやらせていただいたということで、心からお礼を申し上げたいと思います。本当にありがとうございました」 古舘氏はすぐに反論した。 「古賀さん、ちょっと待って下さい。いまのお話は、私としては承服できません。古賀さんは金曜日に、時折出て下さって、大変わたしも勉強させていただいている流れの中で、番組が4月から様相が変わっていく中でも、古賀さんに機会があれば、企画が合うなら出ていただきたいと相変わらず思っています」 古賀氏は、官邸からの圧力で自分が『報道ステーション』から追放されたことを遠回しながら強く示唆したのだ。古賀氏の突然の不規則発言で、生放送の番組は大混乱に陥ってしまった。 私はその日、『朝まで生テレビ』に出演するためにテレビ朝日にいた。午前0時半ころ、放送を終えた古舘氏の楽屋前は、『報道ステーション』のスタッフが大勢集まり、騒然となっていた。私がスタッフに聞くと、古賀氏が降板させられたという認識はまったく持っていなかった。もともと古賀氏は準レギュラーであり、必要なときには、引き続き出てもらうということになっていたというのだ。古舘氏の認識と同じだ。 ただ、私は古賀氏が経済産業省に勤めていた時代から、かれこれ20年ほど交流がある。頭脳明晰で、とても真面目な古賀氏は、ウソをつくような人物ではない。だから、もし古賀氏の言うことが真実なら、上層部と官邸の間で古賀氏追放が決められたということになる。そうなると、私のレベルでは、事実を確認することができない。だから私は、楽屋での録音をぜひ公開して欲しいと思う。 もし、古賀氏が官邸の圧力で彼が降板させられたのだとしたら大変な問題だ。私は、戦後の日本で一番素晴らしかったことは、自由にものを言える社会だったということだと思う。それがなくなるということは、日本社会が根底から変わってしまうことを意味する。 日本国憲法21条には、「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」と書かれている。言論弾圧が起きていれば、憲法違反なのだ。私が一番気になっているのは、前代未聞の“放送事故”が起きたにもかかわらず、大手マスメディアが徹底追及する姿勢を見せていないということだ。 古賀氏をそっと「自然消滅」させてしまおうという意思がマスメディアにあるのだとしたら、それこそマスメディアの自殺行為だと私は思う。
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スポーツ 2015年04月15日 13時00分
球界激震スクープ! 「新神宮球場」本拠地に東京ジャイアンツ ヤクルトは新潟移転へ
ヤクルトスワローズの本拠地であり、大学野球の主要球場でもある神宮球場が、2020年東京オリンピック後、隣接する秩父宮ラグビー場と場所を交換する形で建て替えることになった。これで、噂が絶えなかったスワローズの地方移転は消滅、と安堵するのは早計。新球場の“城主”は、何と巨人という情報が…。 東京都は五輪・パラリンピックへ向け、神宮外苑地区の再整備を協議してきた。先ごろその計画がまとまり、都庁で明治神宮など地権者6団体が覚書を交わした。 それによると、2020年東京五輪後に神宮球場の取り壊しに着工し、'22年度末までにラグビー場跡地に新球場を建てる。早ければ'23年から“新”神宮球場がオープンする。 この内容に神経を尖らせていたのがヤクルトファン。当初の計画では、東京五輪に合わせて新国立競技場とともに老朽化が進む神宮球場も建て直す、とされていたからだ。そうなれば、新しい神宮球場が完成するまでの間、本拠地を失うヤクルトはかつてのロッテのようにジプシー球団にならざるを得ない。そこで検討されていたのが、地方への本拠地移転だった。 「建て替えになれば2シーズンは使えない。そこで緊急避難先を協議していたのです。候補地はプロ野球がまだ進出していない、金沢、新潟、長野、静岡、岡山、松山。しかし、どこもまとまらなかった。全面移転ならともかく、新球場ができるまでの“腰掛け”なら結構というわけです。しかし、球場の取り壊しが東京五輪後に決まったことで、事態は大きく動き出しました」(ヤクルトOBの解説者) この先5年間、スポーツ界は“五輪競技”が花盛りとなり、野球の人気低迷が進む。毎年20億円近い赤字を垂れ流すスワローズの維持には、筆頭株主の仏ダノン社が不快感を示しており、経営陣は球団売却も含めて経営改善を求められている。 そこで、球団に愛着を持つヤクルト首脳は「本拠地を地方に完全に移す」ことで生き残りを模索していた。とても東京五輪の後まで待てないのが現実なのである。 「最終的には新潟と静岡にターゲットが絞られた。しかし、静岡市は市民からサッカーの新スタジアム建設の要望が出され、プロ野球の誘致をほぼ断念。残るは新潟市。こちらは立地的に中国に近く、球団誘致は訪日中国人促進にもつながると歓迎している。日本海を挟んで新潟は極めて近距離にあり、日本との架け橋の拠点にしようとしているのです。これには賛否両論あるが、中国から富裕層のプロ野球観戦者が計算できれば新潟の経済効果は計りしれず、ヤクルトの本拠地移転に期待する動きがあるのは確かです」(地元紙記者) 中国は'10年、新潟市に総領事館を開設。市の中心部にある市立万代小学校跡地や信濃川沿いに広大な土地を手に入れるなどして、経済面から交流を深めている。'05年に北朝鮮の羅津(ラジン)港を租借したことで、中国から新潟までが一直線となり、新潟の土地所有を希望する富裕層が引きも切らないのだという。 実は、ヤクルトの新潟移転を虎視眈眈とうかがっていたのが巨人。東京ドームもまた立て直しの時期に来ており、故障者の続出で足腰に負担がかかる人工芝を見切っている。開放的な空の下、天然芝の上でプレーできる新しい神宮球場は願ったりかなったりなのだ。 チーム名も読売色を薄め『東京ジャイアンツ』にすることで、舛添要一・都知事の支援も取り付けているという。新球場完成に合わせて「松井秀喜監督」の青写真も透けて見える。 グラウンド外の巨人は、一足先に絶好調のようだ。
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芸能 2015年04月15日 12時40分
休業状態の香里奈の姉に熱愛報道
女優の香里奈の姉で、モデルで女優の能世あんなが9歳年下の俳優・平野勇樹と半同棲中であることを、発売中の「週刊女性」(主婦と生活社)が報じている。 能世は13年6月に5歳年上の俳優・重松隆志と結婚したが、昨年5月に離婚。同誌によると、能世は離婚から2か月後に出演した舞台で平野と共演。平野は脚本家の倉本聰氏が開設した「富良野塾」の卒業生とあって、演技力が高く、舞台の主演だった能世が熱心に演技の相談をするうちにひかれ合い交際に発展。 今年2月末から平野の自宅で半同棲状態で、能世は周囲に「すごくしっかりしていて、頼りがある」とおのろけ。一方、平野は周囲に「結婚するつもり」と話しているというのだ。 「前の夫の重松とは10年間の交際を経て結婚したが、わずか11か月で離婚。もともと、結婚生活には向いていなかったようだが、平野とは半同棲して様子を見ることにしたのでは。とはいえ、香里奈の姉でなかったら、まったく話題にならなかっただろう」(芸能記者) 幸せな姉をよそに、香里奈はすっかり表舞台から消えてしまった。 「昨年春、ハワイに語学留学中に知り合った台湾人の男性との交際が発覚。そこまでは良かったのだが、その男性と一緒だったパーティーで泥酔し“ご開帳”して眠り込んでいた“ベッド写真”を一部に掲載され、仕事のオファーがまったく入らなくなり、今や、キャスティングの会議でも名前があがらなくなってしまった」(テレビ関係者) 2月下旬には、都内で行われたファッションショーに出演。久々に公の場に姿を見せたがほとんど話題にならず。所属事務所のHPを見てもスケジュールは白紙の状態だ。 「事務所の幹部は『語学留学なんかさせなければ…』と嘆いていたようだが後の祭り。本人が海外でハメを外し過ぎたのがそもそもの原因なのだから仕方ない」(同) プライベートは順調な能世だが、妹・香里奈の今後を案じているに違いない。
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社会 2015年04月15日 12時15分
産経新聞社・加藤達也前ソウル支局長が帰国
14日、羽田空港国際線ターミナルの到着ゲートは、モデルのミランダ・カーが、来日するのを見ようとファン300人が詰めかけていた。そんな中、ミランダ・カーが到着する1時間ほど前、到着ゲート前では、別の人物を待つ取材陣の列があった。 その報道陣の目的は韓国・朴槿恵大統領の名誉毀損したとして在宅起訴された産経新聞社・加藤達也前ソウル支局長。韓国フェリー転覆事故の当日に朴槿恵大統領が、補佐官と密会したという朝鮮日報等の報道を、WEBニュースに掲載した事により、韓国検察が昨年8月に加藤氏に対し、大統領の名誉を毀損したとして在宅起訴し、出国禁止処分となった。出国禁止処分は、繰り返し延長されたが、4月15日の期限を延長する手続きが行われず、8か月ぶりの帰国となった。 到着ゲートから出てきた加藤氏は、今の心境を「ほっとしている」と時折笑みを浮かべながら答えていた。また、「帰れないという事は、とても厳しいものがあった」と出国禁止中の辛さを吐露していた。
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芸能 2015年04月15日 12時00分
吉高由里子 ラブラブ恋人と破局で傷心の芸能界電撃引退説
最近、芸能界に静かに広まりつつあるのが国民的女優に成長した吉高由里子(26)の電撃引退説だ。春以降に芸能界休業を発表し、そのままひっそり引退してしまう衝撃プランが密かに練られているという。 昨年の吉高といえば、NHK朝の連続テレビ小説『花子とアン』でヒロインに抜擢され高視聴率を連発。しかも、大みそかの『紅白歌合戦』で紅組司会を務めるなどまさに“吉高イヤー”の活躍ぶりだった。 ところが、すでに4月だというのに彼女の姿をテレビで見かけない。 「NHKを最後にパタリと吉高の姿を見ることがなくなってしまった。当初は『花子とアン』に出演して以来、1日も休みを貰っていなかったこともあり、本人の強い希望で長期の冬休みを取っているという話だったが、それにしても長過ぎる。一部では『体調を壊した』とか色々囁かれていますが、真相は本人が『仕事をしたくない』と駄々をこね、周囲を困らせているようなんです」(業界事情通) 結果、所属事務所も吉高に気を使い冬休みの延長を認めているようなありさまだという。そんな中、新たに飛び込んで来たのが、まさかの引退説だ。女優業に対するプレッシャーに追い込まれたという話も飛び交う中、真相を探って見ると意外な証言を入手した。 「燃え尽き症候群のようなことを話している業界関係者もいますが、真実は180度違う。吉高は人間関係に悩み、仕事に対する意欲を失ってしまったんです」(芸能プロ関係者) きっかけとなった事件が2つあるという。その一つが今年1月付で辞めてしまったマネージャー問題だ。 「この女性マネージャーのA女史は吉高をデビューからずっと支えてきた人物で、出世作となった映画『蛇にピアス』('08年)のオーディションを受けさせ、人気女優に育て上げた。2人は姉妹のように本当に仲が良かった。でも、A女史が長野県の実家に帰り、市長である父親のサポートをするとして事務所を辞めてしまった。吉高はこの一件からいまだに立ち直れない状態なんですよ」(関係者) こんな吉高に追い打ちを掛けたのが、ロックバンド『RADWIMPS』の野田洋次郎との破局話。 「現在同棲中といわれているが、最近になって吉高が部屋を飛び出したという。今年6月に公開される映画『トイレのピエタ』の主演に抜擢された野田はほとんど家に帰ってこない。すれ違いの生活がずっと続いていた」(芸能プロ関係者) さらに吉高を土壇場に追い込んだのが同映画で共演する宮沢りえとの怪しい関係だった。 「宮沢と野田がデキてると一部週刊誌が報じたことから、吉高がヒステリックになってしまったんです。以来、2人の間にケンカが絶えず最終的に別れてしまったというんです…。吉高は大切な人が2人も去った二重のショックで仕事に対するやる気を失ってしまった」(事情通) 裸で出直して。
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スポーツ 2015年04月15日 12時00分
【甦るリング】第3回・悲運ながらファンに愛された真“デスマッチの祖”ラッシャー木村の晩年
晩年、ユーモラスなマイクパフォーマンスで人気を博したラッシャー木村(2010年5月24日没=享年68)は、とても悲運なプロレスラーだった。若いプロレスファンにとって、木村は「マイクで面白いことを言うコミックレスラー」的な印象だろうが、古くは“金網デスマッチの鬼”と呼ばれた男だ。 日本プロレス界において、“デスマッチの祖”といえば、“邪道”大仁田厚のイメージが強いだろうが、デスマッチを世に知らしめたのは紛れもなく木村だ。大相撲・宮城野部屋の幕下力士だった木村は、十両昇進まであと一歩に迫っていたが、1964年9月場所を最後に廃業。同年10月、力道山没後の日本プロレスに入門した。 ところが、66年、豊登の付き人を務めていた関係から、アントニオ猪木をエースに推した新団体・東京プロレスに移籍。ここから、木村の悲運なプロレス人生がスタートしたといえる。いかつい顔をしている木村だが、とにかく温厚で人が良く、何かを頼まれると「NO」とは言えない性格だったといわれている。 しかし、その東プロはあっけなく67年1月末に事実上崩壊。日プロに戻ることが許されなかった木村は、東プロと提携していた国際プロレス・吉原功社長に誘われるがまま、同団体に移籍。プロレス入りから、わずか約2年半で、3つ目の団体に所属するハメになる。東プロからのオファーを断っていれば、後に日プロのスター選手になっていたかもしれない。そう考えると、「NO」と言えなかった木村の悲運を感じる。 国際プロ移籍後、頭角を現した木村は69年4月、サンダー杉山とのタッグでTWWA世界タッグ王座を奪取。同年8月には米国武者修行のチャンスをつかむ。70年8月に凱旋帰国すると、同年10月、ドクター・デスを相手に日本初の金網デスマッチを敢行した。今でこそ、大日本プロレスなどのインディー団体では当たり前のように行われているデスマッチだが、当時は画期的で、全国のプロモーターから要請が殺到。以降、木村は頻繁にデスマッチを闘い、“金網デスマッチの鬼”が、その代名詞となる。 そんな木村にチャンスが巡ってきたのは、国際プロの絶対的エースだったストロング小林の離脱だった。74年2月、新日本プロレスの猪木に挑戦するため、小林が同団体から去ったのだ。エースが不在となり、吉原社長は当初、小柄なマイティ井上をエースに指名した。だが、75年4月、井上がマッドドッグ・バションに敗れて団体の至宝であるIWA世界ヘビー級王座を奪われると、木村がバションを破って同王座に初戴冠。以降、81年9月に団体が解散するまで、6年半にわたってエースとして君臨した。しかし、常に全日本プロレスのジャイアント馬場、新日本の猪木と比べられる立場になり、損な役回りとなってしまった感は否めなかった。 国際プロと全日本との交流関係から、75年12月に全日本が開催した「オープン選手権」に出場した木村は、馬場とシングルマッチで初対決。両団体のエース同士の対戦とあって、当時は大変な話題となったが、試合と関係ないアブド−ラ・ザ・ブッチャーが乱入し、木村を流血させると、そのダメージが響いて木村が敗れるという不運な結末となった。両者は78年2月に再戦したが、この際は馬場に足四の字固めを掛けられた木村がロープエスケープするも、なぜかレフェリーがブレイクを認めず、不可解なリングアウト負け。 時を経て、2人は85年6月に3度目の一騎打ちをしたが、木村の足がロープに掛かっていたにもかかわらず、レフェリーが3カウントを叩き、またしても悲運な敗退。木村は馬場戦に関しては、ほとほと運がなかったのだ。国際プロが81年9月に解散すると、吉原社長は新日本との全面対抗戦を画策。しかし、井上ら多くの選手は全日本への参戦を選択。吉原社長の意向に従ったのは木村、アニマル浜口、寺西勇の3人だけだった。 そして、同年9月23日、忘れられることはない伝説の東京・田園コロシアム大会。木村は新日本に宣戦布告するため、リングに上がったが、律儀にも「こんばんは」とあいさつし、ファンの失笑を買った。まさしく、木村の人の良さが垣間見られたシーンだったが、これは「こんばんは」事件として、後世に語り継がれることになる。木村は浜口、寺西と「国際はぐれ軍」を結成し、新日本に乗り込んだ。当時の新日本はブームの真っただ中とあって、木村は究極のヒールに仕立て上げられた。国際プロはマイナーな存在であったため、新日本で猪木と抗争を繰り広げていた期間は、木村にとってプロレスラーとしてのピークといえたが、ヒールとしての役回りは決して本意ではなかったであろう。 その国際軍団も、浜口、寺西が長州力率いる維新軍に加入したため解散。1人になった木村は84年、新日本のお家騒動のさなか、営業本部長だった新間寿に誘わるまま旧UWFの旗揚げに参加。同団体は「後から猪木が行く」との前提での設立だったが、猪木は新日本に残留。前田日明を中心とした格闘路線となり、木村は元国際プロの剛竜馬とともに離脱。新日本に戻る道もあったが、木村は自身の意思で全日本移籍を決意。後に木村は「自分の意思で動いたのは、これが初めてだった」と語っている。同年暮れの「世界最強タッグ決定リーグ戦」で馬場のパートナーとして参戦した木村は、馬場を裏切って、剛らと国際血盟軍を結成。以後、馬場らと抗争を繰り広げていくことになる。 だが、時を経て、馬場にタッグ結成のラブコールを送ると、馬場を「アニキ」と称して、義兄弟コンビを結成。百田光雄らとのファミリー軍団と、永源遙らの悪役商会との試合は全日本の前座の名物となり、アットホームでユーモラスなマイクパフォーマンスで沸かせるようになる。 馬場の死後、三沢光晴らに追随し、00年にノア旗揚げに参加。03年3月までファイトしたが、体調不良により長期欠場に入り、04年7月、ビデオレターで引退を表明した。引退後は体調を崩し、車イス生活を余儀なくされていたという。お人よしなばかりに周囲に誘われるがまま、団体を転々とした木村の流転のプロレス人生。国際時代はエースの座を張り、新日本では猪木の敵役を務めたが、木村が最も「らしさ」を発揮できたのは、ベビーフェイスに転向し、マイクパフォーマンスでファンを喜ばせていた時期かもしれない。 確かに不器用でファイトスタイルは地味なプロレスラーであったが、その実力は本物だった。プロレス界のトップを獲ることはできなかったが、ラッシャー木村という偉大なプロレスラーがいたことを忘れることはできない。(ミカエル・コバタ=毎週水曜日に掲載)
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アイドル 2015年04月15日 11時45分
HKT48・指原莉乃とソックリと話題になった3人のアイドル
アイドルの域を飛び出したバラエティ対応力から、他のアイドルとは一線を画す存在としてグループを引っ張るHKT48の指原莉乃。そんな指原は、自身のことを“ブス”と自虐的に語り、総合プロデューサーの秋元康から、“ゲロブス”といじられることもある。自身の容姿をネタにすることは、もはや彼女の伝統芸でもあるが、そんな指原と顔が似ていると話題になるメンバーが、これまで実は3人いた。 まずは、NGT48のキャプテンにも指名された北原里英。北原と指原はAKB48の5期生として同期でありデビュー日も同じ。北原は愛知から、指原は大分からと同じように地方からグループに加入しており、経歴も似ているところが多い。そんな二人は加入当初のレッスンで、“顔が似ている”という理由でペアになることが多かったという。その後、二人は所属事務所も一緒になった。ただ、北原は、テレビ番組のウソ発見器を使った企画で大島優子から、「指原莉乃に似ているといわれるとショックだ」と質問されると反応してしまったことがあった。その時に一方の指原は、「あんまり私のことを知らない人が“きたりえ(北原)大好きです”とか言ったりします。その時は、もちろん、はい、ありがとうございます! って言ってます」とのエピソードを披露していた。 続いて、NMB48の“釣り師”として話題になることが多い渡辺美優紀。小悪魔キャラの彼女も一時、「指原に似ている」と話題になったことがあった。ファンからは、「静止画は似ている時もあるが、笑顔が全然違うので動画では似てない」、「生で見たら全然似ていない」、「完璧に仕上がった指原と絶不調のみるきー(渡辺)なら似てなくもない」など様々な意見が議論され、「みるきーに失礼」と憤慨する渡辺のファンも。そんな渡辺のファンに対して指原のファンは、「全国的な知名度では指原の方が上なんだから、ありがたく思うべき」と応戦。ファン同士の論争となっていった。 さらに、最近、指原に似ていると話題になったのが、乃木坂46の白石麻衣だ。乃木坂46の中心メンバーであり、ファッション雑誌「Ray」の専属モデルでもある白石は、「今、女子が一番憧れる女の子」と紹介されることもある。二人が似ていると言われるようになったきっかけは、白石がモデルをつとめたヘアカラー商品のパッケージ写真の一部が指原と激似だと、ファンの間で話題になったことからだ。白石は先月のイベントで、そのことを報道陣から指摘されると、「そうなんですか? ぜんぜん知らなかった。申し訳ないです」と恐縮していた。 以上、3人のアイドルがこれまで指原と似ていると話題になったアイドルたちである。ただ北原里英、渡辺美優紀、白石麻衣ともタイプがまったく異なるメンバーであり、指原と似ていると話題になったことはあるものの、その3人が似ていると言われたことはまったくなく、共通点も見つけられない。そんな3人と似ていると話題になる指原は、やはり不思議な魅力も持ったアイドルなのかもしれない。
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芸能 2015年04月15日 11時45分
高部あいが高橋克典を「お父さんのようです」
テレビ朝日・木曜ミステリー『京都人情捜査ファイル』製作発表記者会見が14日、東京・六本木のテレビ朝日で行なわれ、主演の高橋克典はじめ、松下由樹、松平健、尾美としのり、高部あい、鈴木貴之、渡辺邦斗、石丸謙二郎らが出席した。 高橋、松下、松平という人気実力派俳優の3人が初タッグを組み、実在の警察組織『犯罪被害者支援室』で奮闘する警察官たちの姿を描く。 木曜ミステリーは初主演となる高橋は「非常に大変で重要な部署です。真っすぐ誠実に演じていきたいと思います」と意気込みを語った。 星野佳世役の高部は「佳世はアグレッシブで勝ち気な女ですが、時にはチャーミングに皆から愛されるキャラクターになりたいと思います」とニッコリ。また主演の高橋について問われると「すごく暖かくて、お父さんのようです」と答え、高橋は苦笑い。
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