ジャニーズに入所したのは、井ノ原が1年先輩の1987年。翌88年に国分がその門を叩き、同年に光GENJIのバックダンサーとして「平家派」が結成された。このメンバーに、のちにTOKIOとなる城島茂、山口達也、国分、V6となる坂本昌行、長野博、井ノ原などが抜てきされ、少年隊の主演舞台『PLAY ZONE』に出演。次期歌手デビューと期待をかけられた。
ところが、平家派は自然消滅。メンバーはスランプに陥り、坂本はジャニーズを退所したほどだ。そんな矢先の94年に、TOKIOが結成。歌手デビューした同年に『第45回 紅白歌合戦』に初出場するというラッキーを手にした。
そのころ、燻っていた井ノ原は、同世代のSMAP・稲垣吾郎の付き人を務めるという、隠したい過去を経験。ドラマの撮影を海外で行なった際、エアチケットを手配したり、現場でマネージメントしたりと、裏方に徹していた。
いっぽう、華やかな経歴を重ねていったかに見えたTOKIOも、ドラマなどの仕事が来るのは、長瀬智也や山口といったフロントメンバーだけ。スポットライトを浴びる機会が少なかった国分は、ソロでバラエティに進出。そこで出会ったナインティナインに、時には愛をもって、時には厳しく育てられ、やがて仕切れるまでに成長。在京キー局を同時期に制覇するというジャニーズ初の偉業を達成するまでになった。
そんなふたりが、朝の顔として激突。8時までは日本テレビ系列の『ZIP!』で山口が、8時15分から井ノ原が、8時半から国分が見られる2014年の春。朝からジャニーズが大暴れだ。