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遠い記憶 根岸競馬場の歴史(27)

 先週に続き、根岸競馬場の昔を知る関係者の座談会をお届けする。

 W(元理事) 競馬では、女性を排除していたのに、口取りには外国人の女性がいたのはどうしてかな。

 T(元理事) 馬場に女性を入れなかったのは最近までのことじゃないかな。

 N(元騎手) オークスのレディースファースト。あれから女性に人気が出てきたんだなぁ。今は女も男もないよ。みんなおんなじだ。

 W ここでダク馬もやっていたんだね。障害も大変だったと思うが、全部置き障害で、よく落馬があったというが、本当か?

 K(元騎手) 4コーナーで馬がバテているからね。それと障害が低いから、かえって馬に乗っている方も甘くみて馬鹿にするから、それが落馬事故の原因になったと思うよ。

 W Nさんも、障害乗ったの?

 N(元騎手) B先生と、一緒に何回か乗ったよね。

 W Nさんもダクやったことは?

 N いや、僕はやらない。

 B(元騎手) 僕は同じ日に、障害とダク馬と平場と3鞍勝ったことがある。この記録は絶対に破られない。今はそんなレースないからね(笑)。

 W いつごろのことかな?

 B 昭和9年12月の中山競馬だったね。

 N ダク馬で、ホッカイホマレっていう馬で杉山豊治郎さんが亡くなったのは何年ころだったかね。杉山てっちゃん(七治さん)の親父さん…。

 K そのレースは観ていた。大久保末ちゃんが決勝点近くまでいって、おさえた。それで末ちゃんは、表彰されたんではないか。自分のレースを捨てて助けたということで…。昭和9年ごろではなかったかなぁ。

 W 練習馬場が内側に1本しかなかった。ちょっと低めになっていて、下り気味で狭かったんだよ。

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