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人が動く! 人を動かす! 「田中角栄」侠(おとこ)の処世 第19回

 組織というものが維持され、さらに発展、拡大への道をたどるにはいくつかの要諦がある。ビジネス社会はじめ、どんな組織にもこれは当てはまる。強大無比の田中角栄の後援組織「越山会」も、またそうであった。

 前回記したように一つはリーダーたる人物の人を動かすモチベーション(動機)がまず不可欠。その上で、二つにそうしたリーダーを敬愛あるいは信奉するゆえに発生する部下、とりわけ側近のロイヤルティー(忠誠心)がどれだけ強いかにかかる。側近のロイヤルティーについて言えば、越山会はまさに鉄壁のそれと言えた。組織の「盟主」田中のもと、多々役割りをこなした数多くの秘書の中で、特に4人の秘書の名参謀ぶりが際立っていたのである。

 佐藤昭子。永田町の田中の個人事務所に常駐、かの有名な「田中角栄の金庫番」「越山会の女王」として田中と終始“二人三脚”、越山会のカネを最終的に管理していた。

 山田泰司。田中の目白邸に常駐、越山会の「江戸家老」と呼ばれていた。毎年夏、2週間ほどかけて〈旧新潟3区〉内の三百数十の各地越山会の陳情、要望を聞き、それぞれ前回の田中の選挙でどれくらいの票を出したかで、どこまでその陳情、要望を実現するかを厳しく差配していた。この独特の陳情、要望受け付け方法は「越山会査定」と呼ばれた。「信賞必罰」を貫いた。

 田中勇。東急電鉄グループ創始者だった五島慶太の「懐刀」と言われ、田中の側近となって越山会の組織化に寄与、とりわけ計数に明るく、「得票率」という“手法”を編み出した。各地越山会の田中への単なる票の多寡だけでなく、有権者数に比して何%の票を出したかで各地越山会の“ヤル気”を図ったのであった。もう一つ、この田中の知恵は各地越山会に「肩書」の多きを導入した点にもあった。筆者もこの肩書の種類を調べたことがあるが、各地越山会ともほぼ全員が何らかの“役員”の肩書が付き、足の踏み場もないほどであった。筆者の問いに、ある越山会の「幹事長」氏はこう言ったものであった。
 「肩書というものは、ある意味で人間の生きがいに通ずる。生きがいがあれば、皆よく働く。企業でもヒラから主任あるいは課長といった肩書が付いた途端、ヒラ時代とは一変した働きを見せる人間はいっぱいいる。越山会も同じ。ほとんどの会員が肩書を持つから皆が粉骨砕心、コマネズミのように票の掘り起こしに動き回るのです。肩書の付与を生きがい論と結び付けた田中勇さんの功績は大きかった」

 そしての本間幸一。田中の新潟「国家老」と呼ばれ、長岡市に本社を置くかつて田中が社長だった越後交通の2階個室に陣取り、物腰は柔らかいが一瞬たりとも各地越山会へ目を離さずという伝説の人物。この人の存在なくして越山会は機能しなかったと言ってよかった。とにかく田中のためなら寝食を忘れ、票になりそうな、あらゆるアイデアを次々に導入した。それまでの議員の後援組織というものに「観光」というものを初めて取り入れたのも、この人であった。新潟の各地越山会の会員をバスで目白邸に運び、憧れの田中に会わせる一方、東京見物のコースも入れるという「目白ツアー」、各地温泉旅行等々である。

 また、「娯楽性」をも取り入れた。これは昭和43年12月11、12日の2日間にわたる長岡市厚生会館での越山会会員のための「美空ひばりショー」開催が白眉であった。2日間、3回公演を同じ場所で行ったのは、“女王・ひばり”としては全く異例であった。時に田中は自民党幹事長、テレビでひばりと同席したという経緯もあった。本間は、このときのエピソードを筆者にこう語ったものであった。
 「2人は性格も合うようだったので、思い切って『越山会会員のためにお歌い願えないか』と頼んでみたのです。さて、問題はギャラ。2日間、3回公演ですから、こちらは数百万円は覚悟のところです。ところが、当時まだお元気だったひばりさんのお母さんが、キッパリおっしゃられたんですね。『一銭もいりません。ただ、弟に小遣いとして50万円もやって下さい。おカネも使う子ですから』と。結局、ひばりさん自身はノーギャラで出て下さった」

 美空ひばりは、時に弟で歌手の香山武彦、漫才の青空星夫・月夫、三波伸介健在の「てんぷくトリオ」、演奏の原信夫とシャープス&フラッツらを引き連れ、自らは「お祭りマンボ」「ひばりの佐渡情話」「悲しき口笛」「越後獅子の唄」「悲しい酒」「柔」「真赤な太陽」など、各回22曲を熱唱した。ちなみに、当時の「弟への50万」は現在の金額でほぼ10倍、500万円ほどの“小遣い”であることから、何ともべらぼうではある。

 それから1年後の昭和44年12月の総選挙で、田中はそれまで取ったことのなかった13万3千という最高得票を得た。本間ら田中を取り巻く側近秘書たちの知恵が結実した、越山会という後援組織の“完勝”ということであった。ここでは、組織はあらためて「人」であることを明らかにしたのだった。(以下、次号)

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小林吉弥(こばやしきちや)
早大卒。永田町取材46年余のベテラン政治評論家。24年間に及ぶ田中角栄研究の第一人者。抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書、多数。

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