「両前のソエがひどくてレース後は歩くことさえままならなかった」
5歳初夏にしてわずか17戦のキャリアが、スズカフェニックスの今日に至るまでの険しい道のりを如実に物語っている。その虚弱体質には、ダービー馬アドマイヤベガなど、数多くのオープン馬を手掛けてきた児玉助手でさえ悲鳴を上げていたほどだった。
しかし、陣営は日々、我慢と努力を積み重ねてきた。そのかいあり、フェニックスは“もやしっ子”から見事に脱却。昨年は1年を力走できるまでにパワーアップし、あっという間にオープン入りを果たした。
そして、5歳を迎えた今年4戦目の高松宮記念。GI初挑戦初勝利の離れ業をやってのけた。この勝利は「いずれはGIを獲れる馬になる」と常々口にしていた橋田師の相馬眼の確かさを改めて知ることにもなった。
しかも、児玉助手は「まだあの時でも追い切り後には、カイバが上がってしまっていた」と話す。解釈の仕方によっては、さらに成長の余地を残していたことになる。実際、「今は速い時計を出しても食いが落ちることはない。前回より心身ともに充実しているね」と頼もしそうに愛馬を見つめる。
合わせて、小回り中京の電撃戦から東京のタフなマイル戦へと様がわりする舞台にも歓迎の意向を示した。「宮記念は(慣れない速い流れを)ジョッキーの腕とかでカバーした感じ。間違いなくこの馬は千六がベストだよ」この力強い言葉を聞けば、勝利の二文字が頭から離れない。
ここに向けても用意周到に“作戦”が練られてきた。「なぜか放牧明け1走目は環境の変化に戸惑いイレ込んでしまう」(児玉助手)。そのため、前走後はち密な名将の指示の下、自厩舎に置いて調整。中9週という微妙なローテーションも、陣営には2002年のアドマイヤコジーン(高松宮記念2着→安田記念1着)で結果を残している自負がある。
「このローテは宮記念に出す時点から考えていたことですから。もともと時計は出る馬ですが、直前もいい動きでしたね」サラリと言ってのけるトレーナーの表情には余裕すら感じられる。「前走ではスピードがあるところを見せてくれたけど、この馬の最大の長所は瞬発力があって、少し長めの脚が使えること」改めてマイラーとしての資質の高さを強調した師はこう続ける。
「私も何度か香港に行って、スプリントやマイルを戦っている。もちろん、今年の香港馬の強さは分かっているつもりですが、直線スムーズにさばければ差のない競馬ができると思う。この血統はお母さんの代から縁があるし、馬主さんや生産者に対しても、(一族の多くを手掛けている調教師として)いい結果を残さないとね」
逃げ、差しの違いこそあれ、冠名・血統・栗毛の好馬体からサイレンスズカの再来かと大きく期待されたフェニックス。若駒時代は悪夢を見続けたが、雌伏のときを経て不死鳥のごとくよみがえった。前人未到の高松宮記念→安田記念連覇へ、夢を追い続ける橋田師の瞳はまぶしいばかりの輝きを放っている。