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遠い記憶 根岸競馬場の歴史(26)

 先週に続いて根岸競馬場の昔を知る関係者のインタビューをお届けする。

 W(元理事)「新馬が中山や府中を目標にして、横浜に頭数があまり集まらなかったのはなぜだろう?」

 N(元騎手)「それは、横浜が3月で、競馬シーズンの皮切りだった。一番早かったからじゃないかな。昔は4歳(現3歳)からだったからね。それでも、全国から馬が集まってきていた。」

 T(元理事)「コースが急で、レースに向いていないというのは、慶応2(1866)年、幕府が大急ぎで造成させられたからかな。」

 K(元騎手)「実際に乗った人が設計していれば別だった。」

 T「競馬を知らないお侍さんが指示して造ったとしか思えない。」

 工事には根岸村の村民たちが駆り出されたそうです。完成して1年目に雨か何かで一部が壊れてしまい、大急ぎで修復させられたのはいいが、幕府に工事費を値切られ、困った村民が何とかしてくれという古文書が残っている、という説もあります。

 W「全部が民有地だったからかな。」

 それに、競馬を始めたころは、今のサラブレッドと違って、道産子のような在来馬で走っていたせいもあるでしょうね。皆さんが走っていたころは、本馬場はもうちゃんとした芝でしたか?

 N「本馬場はいい芝がついていたな。手入れはよかったね。」

 T「造ったのは日本人でも、管理はイギリス風のしっかりしたものだった。」

 N「やかましかったよね。」

 K「女の人が草取りしてたね。芝馬場に女性を入れるのは大変やかましかったけど、草取りだけは別だったんだね。」

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