ある日、春海がまた来て欲しいと思った20代後半の会社員客が一人でやってきた。嬢たちの待機所は客席に近いが、お客様からは嬢があまり見えない角度になっている。早い時間だとまだ店内は騒がしくないので、誰を指名するかのやり取りが聞こえる。
春海は「呼ばれるのわたしだぁ」とワクワクして待っていた。ところが、ボーイとの会話が何やら怪しい。
「名刺もらったんだけど、酔ってなくしちゃって。はる…なんだっけな」
この店には、源氏名に「はる」がつく嬢は、春海以外に4人いる。ボーイは嬢たちの見た目も説明した。春海はタイプでいうと、お嬢様系。他の子は結構タイプが割れるのだが、遥香という嬢がお嬢様系でかぶっていた。どうか、思い出してという春海の願いもむなしく、ボーイは先に遥香の名を挙げ、お嬢様系と説明したため、遥香がそのまま指名されることとなった。
春海は思い出してくれなかったショックと、間違えられた悲しさで落ちこんだ。でも遥香はあの人と話してないはずだし。前はわたしがずっとついてたんだから、おかしいと思うはず。何も知らず遥香は嬉々として向かった。案の定若い客は「あれ?」といった顔をする。
待機席に聞こえてくる会話の断片が、
「前にスキーの話しなかったっけ?」
「あーあーあー、うん、したかも??」
「だから、それわたし! 早く思い出して!」と願っているところに、春海は別席に行くことになった。その際、この席の横を通ったのだが、若い客は遥香にがんがん押されてるようでこちらには気づく様子もなかった。
そのままその日の営業は終わり、着替えていたら遥香が春海に話しかけてきた。
「あのお客さん、春海さんとわたし間違えたんですよね? 遥香すぐわかりましたよぉ。遙香、志摩さんに春海さんのこと話しておきましたからぁ。だからちゃんと次回から指名してくれると思うんですぅ」
「あの人志摩さんっていうのか。なんか先にこの子が名前知ってるのって複雑だなぁ」と思いながらも、春海は遙香を信じて次の来店を待った。
ところが、若い客〜志摩はその後も遙香を指名し続けた。結局、遙香を気に入ってしまったのだろう。お客様の自由といえど、なんだか春海は面白くないし割り切れなかった。
しかし、またしばらくして新たな情報が春海のもとに入る。嬢友達、有美が「志摩さんのところこの前ついたんだけど、春海のこと後で知って指名したいらしいよ。でも遙香が、間違えたんだから責任とってこのままずっと指名してとか言って、志摩さん気弱いから遙香に押し切られたままなの」と、教えてくれた。
「なにその責任とれって、嫁入り前の子妊娠させたみたいな言い方…」
つまり遙香ははなから春海に志摩を譲る気はなかったということになる。
しょせん、キャバ嬢は…いや、女という生き物は信用できないということだ。志摩さんも、そんなに遙香のわがままが振り切れなかったんだろうか。それでも結局誰を指名するかは、お客様の決めることだもんね。
本音を言えば腹立たしかったが、春海は自分を制し、「もっといいお客さんをいっぱいつかまえるわ」と客席へ静かに向かったのだった。
文・二ノ宮さな…OL、キャバクラ嬢を経てライターに。広報誌からBL同人誌など幅広いジャンルを手がける。風水、タロット、ダウジングのプロフェッショナルでもある。ツイッターは@llsanachanll