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柔らか感のある大正建築・東京都中央区立明石小学校が解体

 東京都中央区立明石小学校で、8月10日から校舎の解体工事が進められている。

 明石小学校は、関東大震災後の復興事業として建造された復興小学校の中でも最古参に属するもので、1926年(大正15年)に竣工した。これまで現役の校舎として使われてきたが、新校舎に建て替えられる。
 関東大震災では東京市(当時)内の小学校の大半が焼失・倒壊した。そのため復興小学校は、耐震性・不燃性の高い鉄筋コンクリートとした。鉄筋コンクリートには、無機的で冷たい四角い箱という印象がある。この印象は、鉄筋コンクリートが現代ほど普及していなかった当時は一層強かったはずである。
 しかし、この点で明石小学校のデザインは工夫されている。窓と窓の間にはギリシア神殿の柱のような円柱がある。また、壁は上から下まで真っ直ぐではなく、屋上付近が張り出ている。これは雨水が壁に当たりにくくなり、建物の劣化を抑制するという機能的な意味もある。校舎入口の上部は西洋の城館のバルコニーのようになっている。キリスト教教会にあるような、上部が円形の窓もある。
 総じて明石小学校は曲線を多用している。これはドイツを中心とした表現主義の影響を受けている。復興小学校は、当時の最新の建築思想を導入する場でもあった。この曲線の多用によって、優雅で柔らかい印象を与えている。これは小学生の情操への好影響が期待できる。

 実際、明石小学校の校舎は教育的な考慮もされていた。校舎には3階建ての部分と2階建ての部分がある。一部を2階建てとすることで、十分な日光が校庭に差し込むようにした。また、様々な特別教室や準備室を配置することで、従来の画一的で詰め込み型の教育スタイルから、子ども主体の教育体験を目指す教育界の新しい動きにも対応できるようにしていた。

 明石小学校周辺は明石町と呼ばれ、明治時代に外国人居留地だった場所である。今でも聖路加国際病院やカトリック築地協会など、西欧文化が濃厚である。立教大学や明治学院大学などのキリスト教系学園のゆかりの地にもなっている。明石小学校の校舎は、その明石町の歴史と文化に相応しいデザインである。角度によっては校舎の後ろに聖路加国際病院のチャペルの尖塔を見ることができるが、景観として調和している。解体を惜しむ周辺住民や卒業生も多い。

(『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』著者 林田力)

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