ONには「去る者は追わず」という共通点がある。1995年にダイエー監督に就任。あえて巨人OBをコーチに呼ばず、孤軍奮闘したものの、Bクラスが続き悪戦苦闘。就任4年目についにV9の戦友・黒江透修氏を助監督に招いている。その年に初めてAクラス入り、5年契約が切れる翌99年に初優勝、初の日本一になる。
2000年もリーグ連覇、ONシリーズに敗れたものの、王監督=黒江助監督のコンビは成果をあげていた。が、01年に横浜・森祇晶監督誕生の動きが出てくると、「クロちゃん、森さんのところに行くんだろう」と黒江氏をあっさり送り出している。
森氏もV9巨人時代の僚友であり、西武時代からの森監督=黒江コーチのコンビ関係を知っているだけに、快く横浜行きを認めた王さんらしい友情物語ともいえるだろう。「今のダイエーは身売り話が絶えないし、年俸も上がらない。横浜へ行けば、契約金も出るだろうし、その方がクロちゃんにとっていいだろう」と黒江氏の経済問題にまで言及している。
黒江氏だけではない。05年、合併球団オリックス・バファローズの監督に仰木彬氏が就任した際にも新井宏昌打撃コーチを送り出している。「仰木さんと新井の親しさは特別な間柄だからね」と。が、新井コーチを獲得する際には、「前から目を付けていた。実は、オリックスを辞めるのを待っていたんだ」と明かしている。待ち望んでいたコーチをせっかく獲得したのに、あっさり手放す。そして、仰木監督が亡くなると、新井コーチを呼び戻している。
「来る者は拒まず、去る者は追わず」というのが、王さんの人生哲学といっていいだろう。だから「オレくらいコーチを代えた監督はいないだろう」と言い切るくらいコーチ陣の出入りが激しい。が、その言葉の裏には、「コーチが誰でもオレはやっていける」という世界の王の自負のようなものも感じ取れる。
前回のWBCのコーチ人事の際には、「野球は投手だから、投手コーチは大事だが、あとのコーチは誰でもいいんだ。一流の選手ばかりだから、技術を教える必要もないからね。選手を気分良くプレーさせられる人ならいい」と関係者に本音を漏らしたという。
長嶋さんにも王さんと同じように、コーチに頼らなくてもやっていけるという、同じカリスマ監督の自負があるのは確かだろう。「来る者は拒まず、去る者は追わず」という王流は、派閥を作らない長嶋流と一見似ているようで、非なるものだ。というのも、長嶋さんは「来る者を選ぶ」からだ。
一例を挙げる。ある長嶋番記者に対し、「オイ、今度飯でも食べるか。メンバーを決めておいてよ」と声を掛ける。その番記者が数人のメンバーを作って長嶋さんにメモを見せる。「うーん」と言葉を濁すと、それは「ノー」。以心伝心でメンバーの中の1人を消して見せると、「いいんじゃないの」とひと言。オーケーサインということだ。
「ああ見えて、本当に慎重な人だし、意外に好き嫌いが激しいからね」と長嶋さんと親しい球界OBが証言する。ONの素顔は世間のイメージとは違っている。