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「渋井哲也の気ままに朝帰り」女優としてのキャバクラ嬢はどこへ?

 キャバクラ嬢はある意味で女優です。女優であることが求められるのです。というのも、なぜ高い料金を支払ってまで女性が接客するだけのところにやってくるのでしょうか。理由のひとつに疑似恋愛があるでしょうし、別の面ではカウンセラーでもあります。また母親の顔を求められることだってあるでしょう。

 私がキャバクラで指名するようになって10年くらいが立ちます。いろんなキャバクラ嬢と接してきました。指名する嬢に求めたのはカウンセラー役だったことが多い気がします。

 もちろん、心理学や精神医学の知識を求めているわけではありません。そんな知識レベルのことではなく、結果として私の心が癒されればいい、といったくらいのものです。

 ちょうど10年ほど前から、私は若者の生きづらさについて取材を始めました。フリーライターになった後ですので、誰から強制されたわけでもありません。なぜか、生きづらさというキーワードに惹かれたのです。そして、取材をしていくと、彼たち彼女たちの中にある魅力がわかってきます。それは時代を見る目です。流行や時代の流れをうまく読んでいました。ただ、それは「炭坑のカナリア」のような存在でもって、社会の矛盾を感じ取ってしまうために、心が疲れたり、病んでしまう。

 そんな話を聞いたあと、なぜか、彼たち彼女たちに私自身が乗り移ることがあります。乗り移ってこそ理解や共感ができるところがあります。ただ、他人に乗り移ることは疲労することでもあります。そこで癒しを求めたのです。

 癒しといってもいろんな手段があるはずです。たとえば、文字通りのカウンセラーに話を聞いてもらう方法もあるでしょう。また、どうせ高い料金を支払うのであれば、性風俗店で解消する方法だってあるはずです。あるいは、クラブにいって踊り狂うのもよいかもしれません。私の場合はキャバクラに行き、ときにはつまらない話も、ときには堅い話を、ときには色恋な話をすることで、癒しを得られたのでした。

 私にとって最初の指名嬢になったA嬢(20)は、特に話が面白い訳ではありません。なんとなく漂う雰囲気によって癒されたのを覚えています。また、同じころに指名したS嬢(24)も、特に何を話していたのかはまったく記憶にありません。ただ、なぜかS嬢の元へ足を運んでいたのです。言葉や体の接触による癒しを求めていたのではなく、ムードによる癒しをもとめていたのだと思います。

 ただ、それじゃ女友達と同じではないかと思ったりもします。女友達と飲みときも、言葉や体の接触による癒しを求めていません。しかし、女友達と飲むときに癒されたとしても、それは偶然であり計算されたものではありません。だからこそ、そこには料金が発生しないわけです。

 キャバクラ嬢の場合はそれが仕事だし、客が求める一つの要素なのです。キャバクラという劇場に入って、キャバ嬢というカウンセラーを演じる女優に料金を支払っているようなものです。

 ただ、最近は女優を演じられる嬢が減ってきたように思います。おそらくは、「キャバクラ嬢」になるための敷居が低くなってきからかもしれません。あるいは、私のようにそうした「女優」を求める客が減ってきて、自然淘汰されるかのように、女優としての嬢がいなくなってきたのかもしれません。

<プロフィール>
渋井哲也(しぶい てつや)フリーライター。ノンフィクション作家。栃木県生まれ。若者の生きづらさ(自殺、自傷、依存など)をテーマに取材するほか、ケータイ・ネット利用、教育、サブカルチャー、性、風俗、キャバクラなどに関心を持つ。近刊に「実録・闇サイト事件簿」(幻冬舎新書)や「解決!学校クレーム “理不尽”保護者の実態と対応実践」(河出書房新社)。他に、「明日、自殺しませんか 男女7人ネット心中」(幻冬舎文庫)、「ウェブ恋愛」(ちくま新書)、「学校裏サイト」(晋遊舎新書)など。

【記事提供】キャフー http://www.kyahoo.jp/

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