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プロレス黄金時代と暗黒時代、そして真・黄金時代へ〜平成の新日本プロレス〜

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 今日で「平成」が終わり、5月1日から新元号「令和」の時代が始まる。

 新日本プロレスが最初に東京ドーム大会を開催したのは、平成元年4月24日。『'89格闘衛星☆闘強導夢』という大会名で初進出している。この大会は平日開催だったにもかかわらず東京ドームという目新しさもあり、53,600人(主催者発表)の観衆を集めた。翌年は2月10日に開催。絶対にあり得ないと思われた全日本プロレスの主力選手が電撃参戦しドームを札止めに。前年11月に開催したUWFの動員数を超える63,900人(同)を動員、4月13日には全日本、アメリカWWF(WWE)の3団体による合同興行を東京ドームで開催している。91年は3月21日にアメリカのWCWと全面対抗戦を開催。メインイベントで藤波辰爾がリック・フレアーを破り、NWA世界ヘビー級王座を奪取した。92年には1月4日に開催。以後、今年まで27年連続で同日開催し、「1.4ドーム」が世間的にもブランド化された。

 東京ドーム大会の最高記録は、98年4月4日に行われた『アントニオ猪木引退試合』の7万人。この記録はその後、K-1が抜いており、実数発表となった現在ではあり得ない数になるが、田中ケロリングアナ(当時は新日本)が東京ドーム関係者から聞いた話によると、回転扉にカウンターが付いており「猪木引退試合を超える動員数はその後ない」という。当時のK-1は外野に大きなセットを組んでおり、猪木の引退試合はセットも最小限に留め、立ち見も含めてギッシリと埋まっていた。現在は消防法も厳しくなっていることから、あそこまで入れるのは現実的に難しいと思われる。

 しかし、今では毎年当たり前のように1.4東京ドーム大会を開催しているが、2000年代に入り、東京ドーム大会の動員数が下降。暗黒時代の始まりである。まず両国国技館が入らなくなり、後楽園ホールですら空席が目立つようになった。そんな時、心が折れることなく、全力プロモーションをし続けたのが“100年に一人の逸材”棚橋弘至だ。棚橋は全国各地を隈なくプロモーションをすることで、プロレスから格闘技に流れた“信頼”を少しずつ取り戻していった。

 この棚橋の努力が実り、2012年にブシロード傘下になってから新日本は盛り返し、昨年は日本武道館3連戦、来年は東京ドーム2連戦を開催するまでに回復した。これは黄金時代にも成し遂げられなかったことで、木谷高明オーナーが「ドームでやるのをやめようと思ったけど、一度やめたらまたやる時がシンドイ」と開催継続を判断したのが大きかった。もちろんユークス体制のときにも何度も「来年はやるかわからない」「来年は1.4にこだわらないかも」という声は新日本サイドから明らかにされており、ドーム大会の開催がいつ終わってもおかしくなかったのは事実。真夏の最強戦士決定戦『G1クライマックス』の両国3連戦は縮小したが、東京ドーム側が毎年1月4日は新日本のために他を入れない配慮をし続けてきたこともあり、継続してきた。これは真・黄金時代到来を語る上で大きなポイントだ。1.4ドーム大会は来年1.5ドームという未知の領域にチャレンジする。メイ社長は「ファンの皆さんへの感謝」と話していたが、平成の新日本プロレスにとって象徴とも言える東京ドーム大会や東京ドームより大きい新国立競技場への進出は、令和に時代が変わってもチャレンジしていくことだろう。盤石な真・黄金時代を築くために。

取材・文・写真 / どら増田

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