番組も深夜放送にもかかわらず人気が高く、その中でも人気の高かった山崎美貴・松尾羽純・深谷智子が「おかわりシスターズ」というユニットを結成。山崎ファンだった私は、ビックリしたと同時に嬉しさが込み上げて、真夜中のテレビの前で大きな声で「ウォー!」と叫んでしまった。この3人で『恋はアンコール』というシングルでデビューをすることになるのだが、オールナイターズに会うのは至難の業で、山崎に会うことがなかなかできず、もどかしい思いをする日々が続いた。この頃は他のアイドルの出待ちなどは苦も無くしていたけど、さすがに深夜や早朝の出待ちは厳しくて、生で観ることができない悔しさが大きくなっていた。
厳しい現状だったが、1984年の夏にようやく会う機会に恵まれた。神宮外苑聖徳記念絵画館の前広場で行われたイベント『ふり〜ばる84』である。今で言うフジテレビで夏に行われているお祭りようなイベントである。ここで公開生放送が夕方に行われたのだが、ゲストにおかわりシスターズとおあずけシスターズ(片岡聖子・井上明子)が登場したのである。オールナイターズファンにはたまらないゲストであり、おかわりシスターズが『心はシーズンオフ』、おあずけシスターズは『東京カンカン娘‘84』を歌ってくれた。生で観るオールナイターズに感激をしてしまった。これまでは、夜中にテレビで見るだけだったのに、太陽が上がっている野外で観れたことが新鮮で、ますます彼女たちのトリコになってしまった。
生放送が終わると何とか推しの山崎に会いたいという気持ちが強く、勝手のわからない現場だったが、出待ちをすることにしてみた。とりあえずステージ側にある駐車場に向かって待ってみることにした。15分くらい待ったところで、オールナイターズが駐車場に出てきたのだ。しかし近くに駆け寄ることができず、このまま遠目で見るだけになってしまいそうだったので、車の進行方向の信号手前で待つことにした。多くの出待ちのファンが駐車場にいたが、私みたいに先回りをした人は誰もいなかった。山崎を乗せた車は、私の予想通りの信号で止まり、そこで助手席に座っていた山崎に声を掛けてみると、車の窓をスルスルっと開けてくれた。恐る恐るカメラを構えて撮影をお願いすると、気軽にOKしてくれた。信号が変わる前に撮らなくてはいけないので、慌てず渾身の1枚の撮影だった。さらに一瞬だが握手までしてくれたのだ。約10秒の出来事だったが、なぜか心の中で「勝ったぞ!」と叫んでいた。今に思うと何に勝ったかなんて良くわからないが、それだけ嬉しかった瞬間だったことなのだろう。
素晴らしい時間を過ごさせてもらったが、おかわりシスターズは約1年で解散してしまった。山崎もオールナイターズから卒業してしまい、特別にファンと言える人はいなくなってしまったが、個人的にオールナイターズが大好きだったので、残されたメンバーもしっかりと見ていた。イベントなどがほとんど無かったこともあり、以降は生でオールナイターズを見ることができなかったが、自分が芸人をやっていた21歳の時に『オールナイトフジ』に出演する機会が訪れた。この時の『オールナイトフジ』は、当時とは様変わりしてしまい、当時の雰囲気も無かった。スタジオにいる女の子たちも女子大生ではあったが、呼び名もオールナイターズからシーエックスに変わっていた。それでも自分が大好きだった番組に出れたことは本当に嬉しくて、今でも誇りに思っています。
(ブレーメン大島=毎週土曜日に掲載)
【ブレーメン大島】小学生の頃からアイドル現場に通い、高校時代は『夕やけニャンニャン』に素人ながらレギュラーで出演。同番組の「夕ニャン大相撲」では元レスリング部のテクニックを駆使して、暴れまわった。高校卒業後は芸人、プロレスのリングアナウンサー、放送作家として活動。現在は「プロのアイドルヲタク」としてアイドルをメインに取材するほか、かつて広島カープの応援団にも所属していたほどの熱狂的ファンとしての顔や、自称日本で唯一の盆踊りヲタとしの顔を持つことから、全国を飛び回る生活を送っている。最近、気になるアイドルはNMB48の三田麻央。