91年、立教大学の学生だったと有田と早稲田大学の学生だった上田は、芸能プロダクションを経営していた山口君と竹田君の元を訪ねた。山口君が「学生と芸人の二股は無理」とアドバイスすると、上田は中退。有田は、偶然父が亡くなったことで、学業を続けることが困難になったため、後を追うようにして辞めた。そこからおよそ1年、有田は山口君、上田は竹田君の付き人になった。
山口君と竹田君は、自身の身の回りの世話や移動の送迎といった雑用を、弟子の2人にいっさいさせなかった。芸の肥やしにならないムダな時間は、映画やライブ、舞台を観て、自分の感性を磨くよう指導したのだ。不毛なアルバイトに時間を割かれ、芸の勉強を怠ることがないよう、最低限の暮らしができる程度の給料も与えた。
それでも、まだ20代だった上田と有田は、非常識なことをしでかすことが稀にあった。竹田君は、大河ドラマで共演した大物俳優・渡辺謙との会食の場に、世間知らずの上田を同行させたことがある。渡辺の付き人との4人で酒をたしなんでいると、上田が誰の断りもなく、喫煙したのだ。まだキャリア1年未満。温厚な竹田君も、そのときばかりはさすがに注意した。
田舎者の有田はそのころ、自身を大きく見せようと必死だった。バラエティ番組で同世代の芸人がしゃべっていると、斜に構えて、意地でも笑うまいとこらえた。ネタにダメ出しすることはなかった師匠だが、テレビの映り方、視聴者の感情を鑑みて、さすがにそれにはNGを出した。
山口君と竹田君がアドバイスしたのは、たったひとつ。上田がボケ、有田がツッコミだった立ち位置を逆にしろということだけだ。結果、それが大吉に転じた。03年の深夜バラエティ『虎の門』(テレビ朝日系)のコーナー「うんちく王決定戦」で、上田が優勝。早稲田出身という高学歴、冴えわたるたとえツッコミ、豊富な知識と雑学が、上田最大のセールスポイントになった。「海砂利水魚」から「くりぃむしちゅー」に改名した成果が、ようやく結実したのだ。博学が売りになったことで仕事が増え、翌04年から今なお、冠番組、レギュラー番組は途絶えていない。
もしも今も、ボケとツッコミが元のままだったら……。コント山口君と竹田君は、くりぃむが一生足を向けて寝られない存在なのだ。