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田中角栄「名勝負物語」 第二番 福田赳夫(7)

 栄光は、長くは続かない。必ず、翳る日が来る。人生、すべからくそうできている。国民の万雷の拍手で迎えられた田中角栄首相ではあったが、それは意外と早くやってきた。昭和47年(1972年)7月の政権スタートから、わずか半年ほどで舞台は暗転するのである。

 土地、一般物価の高騰で悪評ふんぷんとなり、トドメを刺すように翌年秋のオイル・ショック(石油危機)が日本列島を襲った。アラブ石油輸出国機構(OAPEC)が折から勃発した第4次中東戦争を有利に導こうと、イスラエル友好国に対する原油価格の値上げと原油の供給削減を決定した。日本も多大な影響を受けた。経済政策に自信の田中ではあったが、これに抗すべき手段はなかったのだった。

 悪いことが重なるのも、世の常である。オイル・ショックで騒然としていたさなかの11月23日、経済・財政政策に全幅の信頼を置いていた右腕と頼む大蔵大臣の愛知揆一が急逝した。どうするのか。何事にも「決断と実行」の人は、翌々日に政権立て直しを狙って内閣改造を行ったのだった。この改造のキーワードは一つ、「愛知の後任の蔵相を誰にするか」であった。

 田中が取った選択肢は、行政管理庁長官として入閣していた福田赳夫を蔵相に横すべりさせるというものだった。福田は閣内に居つつも、すでに「まさに狂乱物価だ。政策の転換が急務」と、田中を牽制する声を挙げていた。加えて、福田は経済政策的にも田中の高度成長路線に反対、もともと安定成長、インフレ抑制を主張する人物である。この対極的存在の福田を蔵相に起用すれば、列島改造計画が大きく後退することは明らかである。福田の蔵相就任をめぐっての二人のやり取りは、次のようなものだったとされる。
 田中 蔵相をお願いしたい。頼む。
 福田 まず、あんたは経済がこんなに混乱した原因をどうとらえているということだ。
 田中 オイル・ショックだ。
 福田 違うな。オイル・ショックは追い討ちだ。日本列島改造論にある。この高度成長的な考え方を改めない限り、経済の修復はできない。日本経済は、全治3カ年だ。
 田中 分かった。君に任せる。
 福田 私にすべてを任せてくれるなら引き受ける。口をはさむのなら、引き受けない。それでいいですね。

 結局、福田は蔵相を受けたが、この経緯の裏にはこんな話も伝わっている。田中の愛人にして、二人三脚で長く政治活動をやってきた秘書の佐藤昭子とのやりとりである。当時の田中派担当記者の弁がある。
「世間は『角福』を“犬猿の仲”視していたが、じつは田中は福田という人物の政治姿勢を認めていた。福田に後任蔵相を頼むにあたって、田中と佐藤の間にこんな会話があったそうだ。『福田君にしようと思うがどうかね』と田中、対して佐藤が『いいんじゃない』と答え、これで福田に頼むことを決めたとされる。田中、福田の間に、それほどの“怨念”がなかったことの証しになっている」

 蔵相に就任した福田は、たちどころに定期預金金利の引き上げや公共事業の抑制など総需要抑制策を打ち出し、物価の鎮静化に努めた。と同時に、ここにおいて田中がはなばなしく打ち上げた「日本列島改造論」は完全に失速したのだった。

★「だんまりの角さん」
 一方の田中と言えば、悩みからくるストレスは相当のものがあったようで、これが原因とされる顔面神経痛で顔が歪み、持ち前の明るさが消えていた。
「『分かったの角さん』が、一転して『だんまりの角さん』と呼ばれるようになり、歯切れのよかった国会答弁も次第に不明瞭になっていった。それでも立ち直りの早いのが持ち味で、しばし舵を外交に切った」(前出・元田中派担当記者)

 首相就任後、早々と「日中国交回復」をやり遂げたあと内政にかかり切りだった田中は、ヨーロッパ、東南アジアを歴訪、そして政権浮揚の“切り札”とでもするようにソ連(現・ロシア)のモスクワにも飛んだ。訪問目的は長年の懸案である「北方領土」問題に風穴を開けることで、時の最高権力者ブレジネフ書記長と渡り合い、共同声明の中に「北方領土は戦後未解決の問題」との一文を明記させることでの成果を得た。

 しかし、こうした何としてもの意気込みも、トドメを刺される日が来た。昭和49年(1974年)10月発売の月刊『文藝春秋』11月号で、よもやの金脈問題と佐藤昭子との女性問題追及の矢が飛んできた。弁明に汗をぬぐう日が続いたが、結局、責任を取る形で首相退陣を余儀なくされる。そして、その失意の中、米国からロッキード事件という矢も飛んできた。

 田中は米国のロッキード社から航空機売り込みに際し、5億円を受け取ったとして、受託収賄罪で史上初の現職首相として逮捕される。本人は金銭授受を完全否定したが、かつての「今太閤」「庶民宰相」は地に堕ちた。なるほど、“悪いこと”は続くのである。

 しかし、田中は党内外の「闇将軍」との声もなんのその、汚辱を晴らしての「復権」を目指すべく“自民党制圧作戦”に転じるのだった。「角福戦争」第2ラウンドが、その先に待っていたのである。
(文中敬称略/この項つづく)

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小林吉弥(こばやしきちや)
早大卒。永田町取材49年のベテラン政治評論家。抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書に『愛蔵版 角栄一代』(セブン&アイ出版)、『高度経済成長に挑んだ男たち』(ビジネス社)、『21世紀リーダー候補の真贋』(読売新聞社)など多数。

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