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実は怨霊スポットだった淀橋?「中野長者伝説」

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 東京新宿に「ヨドバシカメラ」などで親しまれる「淀橋」があるが、かつてここは呪われた場所として人々に恐れられていた。

 今から600年ぐらい前、和歌山で熊野の乱に破れた武士・鈴木九郎は、現在の中野あたりに潜伏。馬を売りながら、貧困生活を送っていた。ある日、浅草の観音様に「馬が高値で売れるように、代金に含まれる大観通宝は、全て観音様にお賽銭としてさし上げます」と願かけした。

 幸い馬は高値で売れたが、支払いは全て大観通宝であった。この正直さが幸いし、九郎は中野から新宿までの広大な土地を切り開き、大金持ちになった。

 だが、次第に九郎は強欲になった。自分の財産を隠した後、埋めた場所がばれることを恐れ、人夫たちを殺害した。いつも、帰りに人夫の姿がないことから、九郎がよく使った橋をと「おもかげ橋」「姿見ずの橋」と呼ぶようになった。これが現代の淀橋であった。

 しかし、九郎の強欲さが娘に不運をもたらしたのであろうか。当時18歳の娘・小笹が、婚礼の晩、蛇に変身し死んでしまった。改心した九郎は「正蓮」と名前を変えて出家、「成願寺」を建立し仏に祈る日々を送ったという。そのため、花嫁行列は中野長者の祟り(あるいは殺された人夫たちの祟りか?)を恐れて、淀橋を渡らなかった。

 1913年(大正2)年に、浅田政吉氏が供養してから、たたりはなくなったとされている。

 実はこの淀橋の伝説にまつわる不気味な都市伝説がある。「84年デビュー組の呪い」という逸話がそれである。84年デビュー組のアイドルが連続して不幸に見舞われているのだ。実例を挙げると、86年に自殺した岡田有希子さん、99年に病死した菊地陽子さん、05年に病死した本田美奈子.さん、2010年に自殺した松本友里さんと、84年組は立て続けに若くして亡くなっているのだ。しかも、この4人は通学で淀橋を利用していたという。まだ中野長者の呪いは解けていないのだろうか……とも噂されている。

(山口敏太郎)

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