マリナーズ・イチローが日米通算安打3086本を放ち、張本勲氏の持つ通算3085安打の日本記録を超えたと大騒ぎされた時に、ある少年ファンが父親にこう語りかけたという。日本球界では前人未踏の記録3000本安打を記録したアジアの張本が若い世代にも再評価されることになったのだ。
イチローが日本一の安打製造機だと思っている少年ファンには、テレビ番組で『喝』『アッパレ』と言っている68歳の張本氏は、過去の人であり、偉大な打者であることを知らなかったのも無理はない。が、現役時代に「世界の王に対してアジアの張本」と自ら言い切ったように、アジアの張本は世界の王を最大のライバル視していた。それだけに、「イチローの記録はあくまで日米通算だからね。日本記録はあくまでオレの3085安打だ」と宣言するように、イチローと比較されること自体、プライドが許さない。
世界の王と同じ1940年生まれ。プロ入りももちろん同期の59年。「オレもホームランだけを狙えば、40本は打てる。ワンちゃんのように50本に届くことも不可能ではなかった」と公言するのは、単なるハッタリではないだろう。通算504本塁打は、日本プロ野球史上7位にランクされている。1位の868本塁打の世界の王以下、野村克也の657本、門田博光567本、山本浩二536本、清原和博525本、落合博満510本と、上位6人はホームラン打者がズラリと名を連ねる。
首位打者7回はオリックス・イチローと同じだが、ホームランも打てる長打力は、アジアの張本の方が圧倒的に上だ。「ホームランはワンちゃんに任せて、オレは打率で生きようと思ったのには、理由があるんだよ」。ホームランは世界の王に任せ、打率で生きるアジアの張本を選んだ野球人生のワケを打ち明ける。
「ホームランというのは、積み重ねだ。減ることがない。が、打率は生き物だ。ヒットを打ち続けないと、打率は落ちてしまう。ある意味でホームランを打つよりも難しい。だからこそ、ホームランでなく、ヒットを打ち続けることにかけたんだよ」と。日本一の安打製造器誕生の秘話だ。
最大のライバル、同期生の王貞治氏は、独自の一本足打法を完成するまで3年間足踏みをしたが、暴れん坊・東映フライヤーズ入りした張本氏は1年目から打率2割7分5厘、13本塁打で新人王を獲得している。少年時に大火傷をして右手の薬指と小指が不自由になったために右手にはいつも黒い手袋をはめていたが、逆にトレードマークにしていた。肩が弱く、打つだけで守備には不安があるという厳しい指摘にも、こう真っ向から反論した。「当時は打てばお金になった。守りは評価されなかったからね。お金になっていれば、名手になっていたよ」と。負けず嫌いな性格丸出しかと思ったが、そうではなかった。73年に東映が日拓に身売りされ、2シーズン制の後期に兄貴分にあたる土橋正幸監督から選手兼任でヘッドコーチ、打撃コーチを任され、コーチ料分だけでも年俸が大幅アップすると、弱肩をカバーする、見違えるようなハツラツとした左翼手としての守りを披露。
「プロはお金がすべて」のプロ意識を見せつけたのだ。
そんなアジアの張本を世界の王再生の刺激剤として獲得したのが、巨人・長嶋監督だった。