光一が東京・帝国劇場の最年少座長になったのは21歳のとき。今から13年も前だった。すでにKinKiとして多忙を極めていたが、2005年からは脚本・演出・作曲にいたるまでをディレクション。さらに進化させていった。
そもそも、初演は‘00年。先輩の東山紀之が、後輩の光一と今井翼(タッキー&翼)を従えるかたちだった。チケットの発売日に、総座席数の10倍を超える80万通の応募が殺到。初年度から、現在のジャニーズミュージカルの恒例になっているフライングを導入し、帝国初としても話題になった。
2002年には、『SHOCK』名物の階段落ちが導入。光一は、リハーサルで足を痛めるアクシデントに見舞われた。翌2003年には、チケットが初演をさらに上回る12倍以上の競争率。2006年には、今度は翼が骨折し、関ジャニ∞の錦戸亮が急きょ代役になった。
2007年には、1階ではじめたフライングが2階で着地するという新技を披露。もちろん、ジャニーズ初の偉業である。翌2008年には、500回記念の突破と、菊田一夫演劇大賞を受賞するというダブルの喜び。この翌2009年には、帝劇での単独主演回数記録を、23年ぶりに更新。光一は、30歳になっていた。
昨年は、3か月の帝劇ロングランに、初の地方公演となった福岡・博多座がプラス。同年の総公演回数が139と、初の3桁に乗った。総動員は、24万人超えを達成。今年はそこに、初の大阪公演(梅田芸術劇場)も加わるため、1,000回突破を機に、新たな記録更新が期待できる。SHOCKカンパニー、その躍動はつねに現在進行形だ。