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巨大熊は「妖怪」だった? 江戸時代に描かれた「鬼熊伝説」

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画像はイメージです。

 9月26日、北海道紋別市にてヒグマが捕獲の後処分され、そのあまりの大きさに話題となった。

 紋別市では8月頃から主に飼料として用いられるデントコーンの食害に悩んでおり、地元の猟友会所属のハンターが仕留めた。その体重は実に400キロ。ニュースでも流れたが、クレーンで吊り下げられた巨大ヒグマの姿を見て驚いた人もいるのではないだろうか。ちなみに地元で長年ハンティングを行っている熟練の猟師でも「見たことがない」ほどの巨体だという。

 まるで未確認生物か何かのような規格外の大きさを誇る巨大ヒグマだが、実は日本には古来から巨大クマの伝説が各地に残っており、中には立派な妖怪とみなされ恐れられているものもあるのだ。

 江戸時代の書物「絵本百物語」には見た目は普通の熊(挿し絵ではツキノワグマに似た姿で描かれている)だが、馬を軽々と担ぐ怪力と巨体を誇る「鬼熊」という妖怪が紹介されている。それによると、木曽(長野県)では歳経た大型の熊は後に人のように後足で立って歩く「鬼熊」になると考えられていた。

 「鬼熊」は夜更けになると里に下りてきて、牛馬を引きずり出して食らうとされ、小さな獲物ならば手のひらで押しただけで死んでしまうという。力の強さは人の何倍もあり、差し渡しが六、七尺(約1.8〜2メートル)はある岩を投げ落とす様が目撃されたこともあったという。このときの岩を十人がかりで動かそうとしてみたが、少しも揺るがなかったとあるので鬼熊の力は相当なものがあったのだろう。

 ちなみに鬼熊の捕獲方法も伝わっており、鬼熊の巣穴に大木を井桁に組み藤蔓で穴をふさぎ、隙間から様々な木を入れ、鬼熊を次々に巣穴の奥に押し込んでいく。最終的には押し込まれた木で後ろが詰まって行き場がなくなり、巣穴の入り口に出てくるので、そこを槍で突き鉄砲で仕留めるとされていた。

 江戸時代、享保年間に捕獲された鬼熊の毛皮は六畳分もあったそうで、まるでUMAのような妖怪だといえる。

 北海道でも、人を襲うヒグマは鬼熊と別の名前で呼んで恐れていたり、またアイヌの人々は人よりはるかに大きく力の強いクマを「キムンカムイ(山の神)」、人に害をなすクマを「ヌプリケスンプリウェンクル(山裾の悪者)」と呼んで恐れていたという。

 今回紋別で捕獲された巨大ヒグマのように、規格外に大きかったり、非常に凶暴なクマをみた昔の人々の想像力が妖怪「鬼熊」を想像したのかもしれない。

文:和田大輔 取材:山口敏太郎事務所

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