だが、明美さんの姉から、不審な手紙が実家に届いたことや、その手紙を山下が回収しに来たことなどを警察に相談。警察はそれをもとにしらべてみると、山下が「捜索願を出すのに必要」などと言って手紙を持ち去っていながら、該当する捜索願は出ていなかった。
そこで2005年4月25日、警察はそうした事実を突きつけながら改めて山下に事情を聞いた。すると、観念したのか、彼女の遺体を自宅の庭に埋めたことを自供。そして、その供述どおりに彼女の遺体が発見されたため、神奈川県警は山下を死体遺棄容疑で逮捕した。
その後の取り調べによって、実家に送られた手紙は、山下によって書かれた「偽装工作」だったことが明らかとなった。そして、証拠を隠すために、両親が納得し安心した後で手紙を回収したことも認めた。
しかし、納得するどころか、かえって彼女の両親に疑われ、これが元で事件が発覚することとなったわけである。
その後山下は、「明美さんから結婚を迫られたため、困ったので殺した」と、犯行のすべてを自供した。しかも実は、以前から明美さんに中絶するように何度も頼んで断られていたことや、明美さん殺害も「口論の末に突発的に」ではなく、かねてから殺意を抱いていたことも供述した。薬物を使って明美さんを眠らせてから、練炭を使った自殺に偽装することまで計画していたという。
そればかりではない。山下は明美さんのほかにも、どうやら3人の女性と「交際」していたらしいことが、取り調べの段階で明らかになったという。もしそれが事実であれば、本妻のほかに、4人もの不倫相手と同時並行で付き合っていたことになる。
しかも、明美さんを殺害した後も、ほかの3人とも変わりなく交際を続けていたという。
警察の取り調べに、山下は「彼女とご両親には、本当に申し訳ないことをしました。罪を償いたい」などと話したという。
2005年11月、横浜地裁は「動機は身勝手で、入念に犯行の発見を防ぐ工作もしている」として、20年の求刑に対し、懲役18年を言い渡した。
(了)