信じられない光景だった。4角先頭から粘り込みを図るプロヴィナージュを目がけ、馬場の中央からブラックエンブレムが抜け出してくる。一斉にスタンドから悲鳴にも似た声をあげさせたのは小島茂厩舎の2頭だった。
レースの主導権を握ったのはエアパスカル。それにプロヴィナージュが続き、後続を引き離してレースをつくった。1000メートル通過が58秒6と速い流れ。これまでは先行力が売りだったエンブレムだが、この日はいつもとは異なり中団に待機。満を持して抜け出した。
自身の年間100勝に花を添えた岩田騎手は「跳びがきれいで前回、乗った時は馬場が悪くノメリッぱなしだったけど、今日はパカパカ行けた」といつも通りの独特なタッチで表現。「直線では内があいたらグングン伸びてくれた。1回使って変わってくれたね」と顔を紅潮させて喜びをかみ締めていた。
一方、開業6年目にしてGI初勝利を挙げた小島茂師は「いやあ、できすぎですね」と驚きを隠せない様子。「やることはやってきたので、あとは結果を受け入れるだけだと思っていた。スタッフも頑張ってくれた」と目を潤ませた。
競馬は筋書きのないドラマとはいえ、このエンディング。いったい誰が想像したであろうか。ただ、その演出の裏にはある一人の仕事人がいたことを忘れてはならない。この日、チーム・小島茂の“セカンドドライバー”として、プロヴィナージュに騎乗した佐藤哲騎手こそその人だ。
「かつてはスタートがいまひとつだったが、以前に騎乗した哲三クンのアドバイス通りに乗ってもらうようになってから良くなった」
トレーナーは詳細こそ明かさなかったが、昨秋、エンブレムに初勝利をもたらしたのが佐藤哲。この後、エンブレムが徐々に自在性を身につけていったことは、その蹄跡をたどれば一目瞭然だ。
佐藤哲といえば、栗東でも理論派で知られるジョッキーの一人。かつてタップダンスシチーの主戦を務めていた当時も、タップの癖を踏まえた上で位置取りや内外のコース取り、ペース配分など、さまざまなシミューレーションを立て分析。陣営と綿密な作戦を練るばかりでなく、報道陣にも競馬の微妙な駆け引きを理路整然と説明してくれたことを思い出す。
話は戻るが、エンブレムの初勝利は東京の未勝利戦。エンブレムは関東馬で佐藤哲は関西の所属。偶然か必然かは別にして、このときの運命的な出会いが、後々、彼女にスポットライトを浴びせることになった…といったら飛躍しすぎか。