今回、疑惑がかかった力士14人のほとんどが十両だった。十両力士が、その地位保全に躍起になる事情については、2月4日付の記事で報じた通り。だが、幕下との大きな格差だけが、その地位を守りたい理由ではないのだ。
将来有望な新鋭の十両力士は別として、中堅、ベテランで十両にてくすぶっている力士にとっては、幕下との格差同様、切実な問題がある。それは、引退後の生活。関取になった力士にとって、引退後、年寄(親方)として、協会に残れるかどうかは人生を左右する重要な問題だ。年寄として協会に残れれば、自分の部屋を持たなくても、65歳の定年まで勤め上げることができる。逆に残れなければ、新たな道を探さなければならないのだ。相撲界ではプロ野球のように、解説者の枠もほとんどないため、元力士は他業界への転職を余儀なくされる。
年寄になるためには年寄名跡を取得するか、一時的に借りなければならない。名跡には限りがあり、一代年寄を除き105。かつては、短命な力士が多かったため、名跡の取得は容易だった。しかし、昨今、力士の寿命が延びて年寄が定年まで勤めることが多くなり、その取得が困難になって相場は高騰。譲渡価格は1億円前後ともいわれている。それだけの大金が用意できなければ、他者が所有する名跡を借りるしかない。借りることすらできない場合、あるいは借りていても所有者に返却しなければならなくなり、新たに借りる名跡がない場合は、残念ながら相撲界から去らざるを得ない。
ただ、誰でも年寄になれるわけではない。なるためには、規定をクリアしていなければならないのだ。その規定とは日本国籍を有する者で、1.最高位小結以上、2.幕内通算20場所以上、3.十両以上通算30場所以上。つまり、最高位小結に上がれず幕内通算20場所に達していない力士は、十両以上で在位通算30場所以上なければ、名跡取得の資格がない。かつては、1.幕内1場所皆勤以上、2.十両連続20場所以上または通算25場所以上が規定であった。これは57年(昭和32年)に定められたもので、実態にそぐわないため、98年に41年ぶりに現行ルールに改められた。
だが、部屋継承者と認められた場合の特例があり、この場合は幕内通算12場所以上、または十両以上通算20場所以上に、条件が緩和される。この特例が適用されたのは、宮城野部屋を継承した元十両・金親。金親は幕内経験がなく、十両通算24場所しかなかったが、宮城野部屋を継ぐため名跡取得が許可された。しかし、昨年12月、金親は八百長疑惑発言の責任を追及され、当時部屋付き親方だった熊ヶ谷親方(元前頭・竹葉山)との名跡交換を命じられ、現在は部屋持ち親方ではなくなった。
この他に、引退までに名跡を取得できなかった横綱、大関に限り、横綱は5年、大関は3年の期間限定で現役名にて親方を務めることが可能。その猶予期間中に名跡を取得する必要がある。武蔵丸(現振分親方)、大乃国(現芝田山親方)、旭富士(現伊勢ヶ濱親方)、北勝海(現八角親方)、曙(退職=現プロレスラー)らが、この制度を利用した。
また、特に顕著な功績を残した横綱には一代年寄の襲名が許可される。元大鵬親方(納谷幸喜氏=退職)、北の湖親方、貴乃花親方がそうで、千代の富士は一代年寄を断わり、後に九重部屋を継承した。一代年寄が持つ部屋は他者が継承できないため、大鵬部屋は元関脇・貴闘力の大嶽親方(当時)に引き継がれたが、その大嶽親方は野球賭博事件で解雇され、現在は元十両・大竜が大嶽を名乗っている。
本題に戻って、事例を挙げると、八百長関与を認めた千代白鵬(九重)。幕内を6場所務めたが、09年7月場所で十両陥落。以降、十両以下の生活が続いている。十両以上の在位は今年初場所現在で24。資格取得には、まだ6場所足りない。千代白鵬は現在27歳で、まだ先の希望があった。だが、ケガが多く将来に不安を感じ、名跡取得資格をクリアすべく、八百長に手を染めたのかもしれない。
年寄として協会に残れるかどうかは、十両力士にとっては、まさに死活問題。その資格がほしくて、十両を長く維持すべく八百長に手を染めた可能性もある。年寄はそれほど魅力的なものである。次回は年寄になれば、どれほど厚遇されるのかを検証してみたい。
(ジャーナリスト/落合一郎)
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