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吉本お笑い芸人 リングに上がると売れる?

 プロレス好きな女子を称して、“プ女子”と呼ばれている。『アメトーーク』(テレビ朝日系)でお笑い芸人が数年に渡って、プロレスを面白く語り続けたことも、人気を底上げした。現在のブームが起こるおよそ20年前、予兆するかのように団体を興してしまった大企業がある。当時の吉本興業。現在の、よしもとクリエイティブ・エージェンシーだ。

 吉本は、70年代にビューティ・ペア、80年代にクラッシュ・ギャルズで社会現象を起こした女子プロ人気に着目して、1996年、吉本女子プロレスJd'を発足。提携会社の社員を寄せ集めて、ジャガー横田、元クラッシュ・ギャルズのライオネス飛鳥などをメインファイターにして、晴れやかに出航した。

 「吉本」の金看板があっただけに、囲む陣営は豪華だった。覆面コミッショナーに就任したのは、桂三枝。今の桂文枝だ。また、西川きよしがリングで“きよし節”をさく裂させて、試合会場を爆笑させたこともある。さらに、試合の合間に芸人が余興のような形でお笑いプロレスを展開したこともあった。

 タカアンドトシ、雨上がり決死隊、博多華丸・大吉、バッファロー吾郎、ケンドーコバヤシ、ハリガネロックなど、そのリングに上がった芸人は数知れず。当時は押しなべて無名だったため、リングに上がって歓声を浴びた者は、皆無だった。

 旗揚げ初年度から興行動員は厳しく、老舗の全日本女子プロレス、元クラッシュ・ギャルズの長与千種が興していたGAEA JAPANに大きく水をあけられた。アスリート+アクトレス=アストレスという、新ビジュアルファイターの発掘に精力を傾けた時期もあったが、四角に光明を見出すことに失敗。発足から7年足らずで見切りをつけ、潔くプロレス界から足を洗った。

 その後はJDスターに改称して、ビジュアル系選手を主体にした方針に切り替えたが、吉本という看板と金銭を欠いた団体の経営状況は、さらに悪化。ついに解散となった。

 反して、あのころリングに上がった芸人はその後、軒並みブレイク。今では、「吉本リングに上がった芸人は売れる」。そんなジンクスがまかり通りそうだ。

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