――ページをめくるたびに胸が締め付けられると、話題になっています。母の死というつらい出来事をエッセイ漫画にしようと思ったのはなぜですか?
宮川 母の死は自分にとって初めての“大切な人の死”でした。「母の遺骨を食べたい」と思ったことなど、すべてが思いもしないことの連続で、客観的にそんな自分の感情に興味がわき、記録しようと思ったことがそもそものきっかけでした。まずは自分が読むために1話目を描いてみたのですが、連載になってからは、自分の正直な気持ちをまた掘り返す必要に何度も迫られて、その作業がつらかったですね。まさか、この先もエッセイ漫画を描き続けることになるとは、その時は思ってもいませんでした。
――宮川さんにとって母とはどんな存在だったのでしょうか?
宮川 母は女の子が欲しかったそうで、息子というより娘のように捉えていたみたいです。そのせいか、なんでも話せる親子関係だったように思います。テストの点数や仕事で上手くいったことを母に報告するのが楽しみで、母もそれを嫌な顔せずに、何時間だろうと聞いてくれました。お節介がすぎて、わずらわしく感じて、口論になることもしょっちゅうありましたが、その辺はどこのご家庭でも同じなんじゃないでしょうか。今でも寂しく思うことはありますが、今の自分が母の死の上に立っていることに気付いてからは、少しずつ気持ちがラクになってきたかもしれません。
――お父さんもかなり落ち込んでいた様子が描かれていますが、現在の家族の様子はいかがですか?
宮川 父は昔から自分の気持ちを口にするタイプではないので、実際のところはどうか分かりません。しかし、時間の経過とともに悲しみと上手に付き合えるようになって、気持ちも穏やかになってきたように思います。以前のようにお酒に飲まれるようなこともなく、どちらかと言えば、母が亡くなる前より人としてちゃんとしていますね。結局、母に甘えていたんですね、僕と同じで(笑)。
――2月には映画も公開されますね。
宮川 初めて試写室で見させていただいた時はあまりにリアルで、一度見たことがある映画を見ているような感覚に陥り、そして案の定、何度も泣いてしまいました(笑)。関係者の皆さんが、「人の死とはなんなのか?」というテーマについて、真剣に答えを出そうと取り組んでいる必死の姿が、泣けた理由のひとつにあるようにも思います。多くの人に見て欲しい映画ですね。
(聞き手/程原ケン)
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宮川サトシ(みやがわ・さとし)
1978年生まれ。岐阜県出身。地方出身妖怪たちの日常を哀愁あふれるタッチで描いたコメディー『東京百鬼夜行』で'13年デビュー。