順風満帆だったわらべだが、83年6月に1番人気だった高部知子がベッドでタバコを吸っている写真を週刊誌に掲載されてしまい、わらべは2人になってしまった。さすがに一番人気の脱退は痛かった。その後に倉沢と高橋で活動をしていたが、倉沢にとって転機が訪れた。84年3月に『プロフィール』でソロデビューすることになった。
この曲の歌詞には「1967年4月生まれ いま16歳」、「1メートル56」などと、倉沢の個人情報が歌われていたので、「自己紹介ソング」として話題になった。ソロデビューしたことで、これまでやらなかった新曲キャンペーンが行われることも決まったので、ここで倉沢に会いに行く決心をするのだが、この新曲キャンペーンで大変な出来事が起きてしまったのだ。札幌で行われたキャンペーンで歌唱が終わり握手会の時に、握手に来た若者にいきなり刃物で手首を切られる事件が起きたのだ。幸い命に別状は無かったが、全治2週間のケガをしてしまった。この事件をキッカケに、キャンペーンは中止になってしまった。
ちなみに犯人は脱退した高部知子のファンだったらしく、ソロデビューをして人気が出てきた倉沢に対しての嫉妬で犯行に及んだという。本当に迷惑な話しである。昨年5月にAKB48の川栄李奈と入山杏奈がノコギリで襲われた事件があったが、アイドルイベントでは、こういった事件と背中合わせなところもあるので、楽しいイベントが一変して、悲劇に変わることも珍しくは無い。
こんな事件が起きてしまったことで、倉沢に会うことがなかなか出来なかったが。ようやく85年2月に初遭遇することに成功した。倉沢の4枚目のシングル『卒業』の発売キャンペーンだった。当時は『卒業』という曲を菊池桃子・斉藤由貴・尾崎豊などが歌っていたことで話題になった。発売当時は2月だったこともあり、かなり風が強く寒かったが、このキャンペーンが行われる亀戸エルナードへと向かった。ようやく倉沢に会える瞬間がやってきた。強風の中でイベントがスタートするのだが、ステージには風に吹かれながら倉沢が登場した。野外とはいえアイドルのイベントでコートを着ての登場だった。極めて珍しい衣装だが、こうゆう経験もそうそう無いことなので、寒空の中で生の倉沢を観させてもらった。
歌唱終了してからは待ちに待った握手会となるのだが、自分の中では、札幌の暴漢事件が頭の中をよぎったこともあり、実際に握手会が終わるまで本当に握手ができるか不安だった。自分の順番が来て目の前に倉沢がいて、ようやく握手という現実になった。握手会では倉沢の方から手を差し伸べてくれて、嬉しさのあまりハイテンションになった私は「大好き!」と叫んでいた。真冬の寒いイベントだったが、この瞬間が本当に至福の瞬間だったことは言うまでも無い。
その後もアイドル歌手として活動もしていたが、次第に女優にシフトするようになってしまい、この時を最後に倉沢に会うことは無かった。その女優活動も長くは続かなくて、93年にオーストラリア人と結婚してしまい、芸能界から引退して、オーストラリアに移住してしまった。
現在はドバイで専業主婦になって3人のお母さんである。今年の始めにあるバラエティ番組に家族揃って出演した時に、17歳になる娘がカワイイと話題になった。ちょっとギャルっぽい感じの桂奈ちゃんというのだが、実際にテレビで見た私もカワイイと思えた。どうせならその美貌を武器に日本でお母さんのように芸能活動をしてくれると嬉しいのだが、それは実現できるのだろうか?どうせなら母親と一緒に日本で芸能活動をしてもらいたいが、そんな日は来るかわからないが待ってみたいと思う。
(ブレーメン大島=毎週土曜日に掲載)
【ブレーメン大島】小学生の頃からアイドル現場に通い、高校時代は『夕やけニャンニャン』に素人ながらレギュラーで出演。同番組の「夕ニャン大相撲」では元レスリング部のテクニックを駆使して、暴れまわった。高校卒業後は芸人、プロレスのリングアナウンサー、放送作家として活動。現在は「プロのアイドルヲタク」としてアイドルをメインに取材するほか、かつて広島カープの応援団にも所属していたほどの熱狂的ファンとしての顔や、自称日本で唯一の盆踊りヲタとしの顔を持つことから、全国を飛び回る生活を送っている。最近、気になるアイドルはNMB48の三田麻央。