「走ることには昔から慣れ親しんでいました。ただ学生のころは短距離の選手やったんで、ランニングをするようになったのは10年くらい前、ボクシングやってた時にロードワークに出るようになってからかな。とにかく走ることは昔から生活の一部でしたわ」
学生時代は陸上短距離の選手として全国レベルの活躍。タレントとして活動を始めてからも常に体を動かし、さまざまなスポーツにチャレンジしてきた。運動神経抜群の森脇なら、この番組のパーソナリティーとして確かに適任だ。
「いやいや、そんなんちゃいますねん。この企画は自分の持ち込みなんですわ。知っての通り、自分は一時期バーンと売れましたが、しばらくして仕事がガクンと減ってしまった。そうなると自分の周りからドンドン人がいなくなっていきまして…」
日本がバブル景気で浮かれていた時期、超売れっ子のお笑いタレントとして週に何本ものレギュラー番組を持ち、一世を風びした彼の活躍をご記憶の方も多いだろう。しかし、食うか食われるかの人気商売。いつしか彼の名前も全国区から外れていった。
「厳しい時代でしたが、それでもこの森脇を信じて支えてくれたスタッフがいたんですわ。その仲間たちと『こんな番組やりたい』ってずっと話していてできた企画なんです」
とはいえ、企画のユニークさだけで、番組制作に乗り出す相手が見つかるわけではない。
「企画が『ただ走る』でっしゃろ。いろんなところに持ち込みましたが当然感触は良くない。ですからtvkさんがやろうと言い出した時はムチャクチャうれしかった。でも半面、『この人はなんて奇特な人やろ』と正直思いましたで」
そう笑うが、実は断られ続けながらも「絶対にどこかがやる、そして面白い番組になる」という自信があったという。
「仲間たちと話し合って『ドラマを用意しない』という原則は決めていました。ありのままを撮る。感動を作るんじゃなくて、僕が感じた感動を伝えようって。面白くなると思いましたよ。だってそんな番組ほかにないでしょ」
こうして今年4月、北海道洞爺湖を皮切りに森脇の「走る男」は始まった。しかし勝負はフタを開けてみるまではわからない。この企画が番組として成り立つのか?しかし、その自信が確信に変わるまでにそれほどの時間は掛からなかった。
「僕の挑戦を知って北海道のある町役場の観光課の人たちが街の人に声をかけ、さらに一緒に走ってくれてたんです。そして、その日の夜を彼らと過ごしました。夜通し酒を飲みながら。その出来事を通じて僕が伝えたいものがはっきりと見えてきた」
走るだけの番組とはいっても、番組を肉付けする企画はいくつかある。1キロ=500円のジョギング貯金。そのお金で、その土地の料理を食べたり、ホテルに泊まったり。さらに、走りたいと思う視聴者が飛び入りでやってきて一緒に走る。だから、番組では森脇がひとりで走っているときもあれば、何人かで走っているときもある。
「一緒に走っているとね、その人の背負っているものが分かるんですよ。具体的にどうこうじゃなくて、共感に近いものです」
大原則である「演出をしない」ことが逆に大きな演出になることもある。山形県では、走る森脇の後を越冬するハクチョウたちが飛び立ち壮大なスケールの映像となった。もちろん、そんな都合のいいことばかりではない。静岡では天気が悪くて一日も富士山が見られなかった。
「富士山が見られない静岡って…」
放送は反響を呼び、当初6局で放送されていたのが、10月からは11局に。視聴できる地域が拡大する。
「番組が放送されている地域は『次は私たちの町の近所を走る』ってたくさんの人が応援してくれますけど、番組が放送されていない地域では『なんや森脇が走っとる』って反応は鈍い。僕らは放送されていない地域ををアウェーと呼んでます(笑)。でも、それはそれで面白い。走っているとその町独特の空気を肌で感じることができる。それも一つのふれあいです」
北海道からスタートした「走る男」は現在、滋賀県を越え関西の中心部に近づいてきた。箱根の山越えが厳しかった経験から大阪に入る前の山々の峠越えがポイントだと語る。
「でも、それを越えたら地元ですわ! ホンマ楽しみです」
走ることを通じて生まれた絆(きずな)やふれあいが醸し出す森脇の優しい表情は、絶頂期の勢いに乗った彼しか知らない人には、とても想像がつかないだろう。彼は、たとえゆっくりでも、励まし、助け合い、信頼できる仲間と同じ目標に向かうことの喜びを知った「走る男」なのだ。
「ホンマにね、県境で過ぎ行く県に頭を下げるんです。ありがとうって。そしてこれから挑む県に頭を下げてから足を踏み入れるんです。よろしくって。何も意識なんてしてない、不思議とそんな気分になるんですわ」
<プロフィール>
もりわき けんじ 1967年、大阪府枚方市生まれ。京都・洛南高校時代にインターハイ出場。高3の時「第1回松竹芸能タレントオーディション」に合格、タレントに。2006年、森脇健児アスリートクラブを立ち上げ、タレント活動と並行して月間200キロのトレーニング、大会出場、アスリート活動にも力を入れている。