今回は、福井県は吉崎御坊願慶寺に伝わる「嫁威肉付面(よめおどしにくづきのめん)」を紹介しよう。
まずは写真をご覧頂きたい。恨みがましく威圧感のある面相、くわっと歯を剥き出した大口。黒ずみ、所々剥げた表面は重ねた年月の長さが感じられる。今は塗装も無くなっているが、かつては全体を黄に近い金と黒、口は真っ赤に塗られていたと言う。
この恐ろしい様相の面にまつわる、とある嫁姑の話がある。
昔、吉崎の近隣の村にある百姓の家があった。百姓与三次の妻『きよ』は、夫と二人の子供に先立たれ深く悲しんでいたが、当時吉崎にいた蓮如上人の教えを受け、やがて他の人と説法を聞くために一里(約4km)離れた吉崎へ、家事が全て終わる夜に出かけて行くようになった。
だが、同居していた姑は、嫁の寺通いを止めさせようとして家にあった鬼の面を被り、近くの谷で鬼の真似をして嫁を脅かした。しかし、嫁は少しもひるむことなく念仏を唱えながら吉崎へ向かった。
目論見が外れ、家に帰った姑が面を外そうとすると、これが顔に張り付いて離れない。無理に外そうものなら皮や肉を剥ぐしかなく、困り果てた姑が泣いていると、嫁が帰ってきた。鬼の面を顔に着けたままの姑が、涙ながらに嫁に詫びると、嫁も自分のことばかりで、一緒に暮らしていた姑をないがしろにしていた事を詫びた。それから二人で吉崎に行き、蓮如上人と共に「南無阿弥陀仏」と唱えると、あれ程ぴったりと顔に張り付いていた面はぽろりと取れた。それから嫁と姑は仲良くなり、また世の人は蓮如上人の徳化の偉大さを語り伝えたと言う。
話によっては、「面の裏に人肉や髪が張り付いている」と付け加えられているものがあるが、実際にはそこまでおどろおどろしい要素は無く、あくまで仏教説話のひとつという側面が強かったようである。また、この「嫁威し」の系統の話は日本各地に伝わっているが、元にはこの福井の話があり、浄土真宗の教えを広める功徳話として使われたため各地に伝播したようだ。
現地には今も「よめおどしの谷」が実際に残っている。その場所には石碑が建てられているが(写真参照)、この場所は一里離れているだけあって吉崎御坊からかなり遠い! しかも高低差のある山道で、いくら当時の人であってもこの道を夜にたどっていくのは難儀だったのでは、と思われる。しかも嫁は(正体が姑とはいえ)鬼に会っているのだ。つくづく昔の人の根性は相当なものだったのだなぁ、と考えてしまう。
(黒松三太夫 山口敏太郎事務所)