この写真を撮影したのは当時21歳のレナード・ラムルー氏。彼は所属していた軍の休暇中、弟のウィルフレッドとともにバンクーバー市役所のクリスマス・ディスプレイを撮影するためにカメラを手に訪れていた。
そんな彼らの前に上空から突如として現れたのが、この謎の発光物体だったのである。
非常に明るい青い光をまとって現れたドロップ状の物体は、猛スピードで水平に空を横切っていったという。その早さにも関わらず、飛行物体にありがちな轟音などは全くせず、音を立てることもなかったとのことだ。ラムルー氏はこの謎の飛行物体が市役所の屋上に立っていた旗棹を越えた辺りで手にしていたカメラで撮影に成功。しかし、今まで見たこともない物体との遭遇に、恐ろしくなった二人は現場から逃げ出してしまったのだという。
ちなみに彼は、物体の複数箇所にライトのようなものがついており、そこから放出された光が物体の周囲を取り巻いているように見えたという。
このUFO写真は兄弟の死後、娘のデボラに受け継がれた。彼女は幼い頃から父親たちの体験談をよく聞いており、その真剣な口振りからとても嘘を言っているようには見えなかったと答えている。
この写真については多くのUFO研究家が検証しており、残念ながら写真の印刷ミスやネガにできた気泡が謎の物体に見えてしまったものではないか、とする見解も出てきている。実際、古い写真の場合当時の印刷技術では現像技術にむらがあり、撮影当時は存在しなかった汚れやシミが出てきてしまって、結果UFOのように見える写真が出来上がってしまうこともままある。UFOは非常に高速で飛ぶ、という認識があるため、「気づいていなかったけれど実際にはUFOが飛んでおり、たまたま捉えてしまったのかもしれない!」と写真の持ち主が誤認してしまうケースも存在しているのだそうだ。
しかし、彼女によれば「幼い頃から写真やネガを見せてもらっていたが、ネガに気泡もないし印刷ムラがなかった事を確認している」という。また、「父は本当なら光る物体がどうやって光っているのか確かめるため、様々な角度から撮影しようと思っていたようでした。でも機能がなかったために連写や露光がうまくできなかったそうです。父は光に包まれた物体に尾翼などが付いていたのを確認していたそうです」とも述べている。
果たして、彼が撮影したものはUFOだったのだろうか?この事件から約10年後の1947年6月に一躍「空飛ぶ円盤」の存在が世界中に知れ渡ることになるケネス・アーノルド事件が起きるのである。
文:和田大輔 取材:山口敏太郎事務所