「最近はあまり聞かなくなりましたが、私の学生時代はキャバ嬢のモデルにした雑誌『ageha』が流行ったりして、キャバ嬢になるという事を口にするのが珍しくない雰囲気だったんです」
確かに少し前までは女子高生のなりたい職業の上位にキャバクラ嬢がランクインしたり、夜の街を舞台にしたドラマが放送されるなど、若者達がキャバクラの世界に憧れを抱くには十分な話題が巷に溢れていた。そんな世界に魅了された寛子は高校卒業と共に、上京。六本木のキャバクラで働き出したという。
「お店で働くこと自体は問題ありませんでした。時給も4000円で満足していましたし。ただ私は帰りの車が、とにかく苦手だったんですね」
寛子は昔から乗り物が大の苦手だった。狭い空間と車の揺れで、すぐに酔ってしまうため、小学生の頃からバスで行く遠足も欠席していたという。大人になってからは多少改善したものの、キャバクラを終えてからの、送迎車で再び悪夢が蘇る。
「車が苦手なのは子供の頃、酔って嘔吐してしまったからというのもあるんですね。それでキャバクラの帰りの車でも、送りドライバーの車に染み付いたタバコの臭いで気持ち悪くなってしまいそのまま…」
他にも携帯で電話しながら運転をしたり、異常にスピードを出したりと問題のあるドライバーは多かったという。彼女にとってそんな車に乗る日々が、とてつもないストレスになっていった。
「こんな不快な思いをするのならもう仕事を変えようと。ストレスは体に悪いですし、やっぱり健康が一番ですから」
車に乗ることが再び恐怖でしかなくなった寛子は夜の世界を棄てた。現在は自宅から自転車で通える距離にある居酒屋でアルバイトをしているという。
(文・佐々木栄蔵)