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「渋井哲也の気ままに朝帰り」戦前からの建物がある「新宿センター街」

 「センター街」。その言葉を聞いて、多くの人が頭に浮かべるのは、「渋谷センター街」だろう。しかし、「センター街」は、新宿にもあるのです。しかも、歌舞伎町のど真ん中です。場所は、新宿区役所の近くであり、風林会館の正面なのです。そう聞いても、すぐに分かる人は、そういない。

 「思い出の抜け道」という看板がある場所だと聞けば、歌舞伎町を知る人であれば、分かる人もいるかもしれない。1951年から、この街が「新宿センター街」と呼ばれていることを示す「since 1951」とも書かれている。

 私がこの「センター街」に初めて踏み入れたのは「K」というバーでした。ライターの先輩に連れられて行きました。当時はおかみさんがいて、歌舞伎町のおふくろサンのようなイメージでした。

 しかし、しばらく行かないでいると、おかみさんは引退。お客さんだった男性が現在も、バーテンを務めています。歌舞伎町のど真ん中ですが、外見では「おしゃれ」には見えない「センター街」。お店に入ると、落ち着いた雰囲気で、ゆったりとした雰囲気でアルコールを口にすることができる。

 また「B」という店も私はお気に入りだ。このあたりのバーは狭いのが基本だが、ややゆったりとしたスペースがあるので、4〜5人なら店に入って楽しむことができる。

 食事処もあります。中国料理屋が2つあり、私はその一方の店「S」には常連です。そこの定番料理のひとつに、揚げパンがあります。ハマグリの甘辛炒につけて食べるのが美味しいですが、揚げパン単独でもおすすめです。とあるキャバクラ嬢(20代後半)と一緒に行ったとき、彼女は揚げパンを気に入ってしまいました。そのため、仕事が終わると、いつも揚げパンを買いに、その店に行っていたのです。

 この「S」という店は、金城武主演の映画「不夜城」のオープニングで使われた路地に面し、「S」の店内でも撮影がされました。ちなみに、この「不夜城」は、作家・馳星周のデビュー作です。馳さんは、新宿ゴールデン街でバーテンをしていたことがあるようですが、この街でも飲んでいたとも言われています。

 また、この街の特徴のひとつは、バラック建て飲み屋さんがいくつもあることです。最近では、店主が若返っていることから、客層も若くなってきています。外国人観光客も多く来ていて、新宿・歌舞伎町をイメージするどころか、まるで、「現代の日本」という感じがしません。というのも、この街の建物は、第2次世界大戦前から存在しているということで、タイムスリップをしている感覚なのです。

 私がオーナーをしているバーもこの街にあります。もともと、その店でバーテンをしていたのは6年前。火曜日だけカウンターに立っていました。2年間だけでしたが、様々な人たちとの出会い、交流がありました。そればバーの醍醐味でもあります。

 その後、一人の客になりますが、店長として復帰。オーナーとなったのです。前のオーナーが店を撤退するとの話を聞いたとき、様々な出会いのあった「この場所」をなくしてしまうのはもったいない、と思ったのです。しかも、歌舞伎町の中心ですし、いろんな意味で、可能性のある場所だと思ったわけです。

 キャバクラ嬢を連れてくると、ほとんどの人がびっくりします。この前も、

 「この路地になにかあるの?」

 「この建物に入るの?」

 「こんなに階段が狭いの?」

 「階段、降りるの、怖〜い」

 と言いながらも、楽しんで行ってくれました。歌舞伎町の中心でありながらも、キャバクラ嬢でさえ、知っている人は少ない街です。この街に踏み入れてはみませんか?

<プロフィール>
渋井哲也(しぶい てつや)フリーライター。ノンフィクション作家。栃木県生まれ。若者の生きづらさ(自殺、自傷、依存など)をテーマに取材するほか、ケータイ・ネット利用、教育、サブカルチャー、性、風俗、キャバクラなどに関心を持つ。近刊に「実録・闇サイト事件簿」(幻冬舎新書)や「解決!学校クレーム “理不尽”保護者の実態と対応実践」(河出書房新社)。他に、「明日、自殺しませんか 男女7人ネット心中」(幻冬舎文庫)、「ウェブ恋愛」(ちくま新書)、「学校裏サイト」(晋遊舎新書)など。

【記事提供】キャフー http://www.kyahoo.jp/

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