松井と言えば、SKE48加入時から11歳の最年少エースとして期待された逸材だった。SKE48第1期メンバーのオーディションが行われた日、プロデューサーの秋元康氏が東京・秋葉原にあるAKB48劇場で、公演をしていたメンバーとファンに向けて電話を繋ぎ、「最終オーディションで凄い子がいました。絶対にスターになるでしょう。原石です」と、松井との出会いを報告したという逸話も残されている。
実際に、2008年10月にリリースされるAKB48の10枚目のシングル曲「大声ダイヤモンド」の選抜メンバーに松井は選ばれ、不動のセンターだった前田敦子とダブルセンターという衝撃的なデビューを飾った。事前にこの報告を受けたAKB48メンバーは、松井の存在すら知らない者も多く騒然としたという。まさかの大抜擢にメンバーだけでなく、ファンからも賛否両論の意見が飛び交うことに。松井を応援するファンも一気に増加したが、秋元氏によってあらかじめ用意されたスターの誕生を気に入らない“アンチ”も大量に発生。握手会で罵倒する者も現れて、松井が涙したこともあるという。この時、まだ松井は小学生だった。
翌年、SKE48の初めてのシングル曲「強き者よ」で、選抜メンバーに選ばれてセンターを務めた。「第1回AKBグループ選抜総選挙」では、SKE48のメンバーでは最高位となる19位にランクイン。その後も「10位→14位→9位→6位…」と着実に順位を上げていき、2016年からは2年連続で3位となった。
松井は体調不良を押して、頑張ってしまうことでも知られている。12年2月に行われたSKE48の福岡公演最終日では、松井は疲弊して気絶しかかっていたという。しかし公演終了後、松井はメンバーに両肩を抱えられながらファンの前に現れ、必死の笑顔で“お見送りハイタッチ会”に挑んだ。ファンを見送った後、楽屋口への扉が閉じた瞬間、松井は担架で運ばれていったそうだ。常にSKE48のセンターという自覚を持ち、グループを引っ張っていた松井らしいエピソードと言えるだろう。
2015年には、「W(ダブル)松井」と称されたSKE48のライバル、松井玲奈が卒業。また、17年には大矢真那が卒業し、気付けばSKE48の1期生は松井ただ1人になっていた。松井は18歳の生誕祭で「近い将来、絶対1位になって、SKE48、AKB48のファンにも認めてもらいたい。前田敦子さん、大島優子さんのような、次の世代を担う人になる」と言い切ったが、孤高となったエースの願いは、10年目のAKBグループ世界選抜総選挙で第1位となって実を結んだ。
突然の“休養発表”は、そんな矢先の出来事だった。以前から体調が優れないこともあった松井は一部の活動を控えていたが、7月に更新されたSKE48の公式サイトでは、「SKE48および48Gの活動をしばらくの間休止しまして、療養に専念する」としたうえで、「活動休止中は、プライベートメールはじめ各種SNSの更新もお休み」するとの意向を表明。握手会については、後日追って連絡するとした。
松井は今年6月のAKBグループ世界選抜総選挙のオープニングで披露した『10年桜』のパフォーマンス中、HKT48の宮脇咲良に「ちゃんと踊って欲しい」とダメ出しする厳しい一面があることでも知られる。総選挙終了後、16位までに入った選抜メンバーの写真撮影に宮脇が欠席したため、松井の影響ではないかと一部メディアで報じられていた。
こうした経緯もあり、松井に対してネット上では、「鼻息あらく宮脇にちゃんと踊れと言っておいて自分はセンター欠席」「病んでしまった理由は 宮脇さくらへのパワハラだね」「宮脇咲良はどう思ってんだろ ラッキーだとか思ってんのかな?」「須田亜香里と宮脇咲良のWセンターがしっくりきてる皮肉」といった厳しい意見が見られた。
その一方で、「宮脇の普段の態度悪いから珠理奈も言ったんでしょ」「不器用な珠理奈にどうしても同情してしまうわ 自業自得でもさ..」「宮脇さんだって、大先輩である珠理奈を大したことないって発言して叩かれたことあった。お互い様だよ」「珠理奈はやる気ない他メンに厳しい。宮脇さんは自分が目立つことしか考えてない。私は珠理奈の方が好きだ」など松井を擁護する意見も多かった。
また、松井のファンからは「みんな待ってるから元気になって戻っておいで」「珠理奈が少しでも早く回復して、堂々としたセンターで帰ってくることを願ってます」「辛いときに珠理奈ちゃんの笑顔で元気もらった 私も珠理奈ちゃんに元気あげたい」「出来る事ならそばにいって支えになりたい 少しでも早く復帰できるよう祈ってます 頑張って!!」と、復帰を期待する声が寄せられている状況だ。
松井はメディア出演だけでなく、SNSの更新も制限された状況が続いている。活動再開がいつになるか定かではないが、ファンのためにも十分に休養をとって元気な姿を見せて欲しいものだ。