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【バラエティ黄金時代】多くの新語やブームを生んだ流行語製作所「8時だョ!全員集合」

 携帯電話も、インターネットもない時代。娯楽のすべては、テレビのブラウン管の中に詰まっていた。『NHK 紅白歌合戦』が文字どおり国民的音楽番組で、視聴率50%超えが当たり前。そんな、規格外の常識がまかり通っていたころ、バラエティの頂点に君臨していたのが、ザ・ドリフターズの『8時だョ!全員集合』(1969年〜85年/TBS系列)だった。

 毎週、日本中のホールや公民館を回って、観客の前でコント、人気アーティストによる歌、名物コーナーを披露。これを、1時間枠で生中継していた。時おり録画放送、代替芸人、SP版といった特例もあるにはあったが、“公開”で“生放送”という既定路線はできるだけ崩さずにいた。

 現在のバラエティ番組で、「志村、うしろ!」という言葉が稀に使われる。これは、同番組から誕生したものだ。コントを熱演中の志村の背後から、敵となるおばけや動物、大道具などが近づいているとき、客席から男子小・中・高学生たちがかけた言葉なのだ。これはほんの一例だが、同番組は“流行語製作所”というべき、多くの新語、ブームを生んでいる。

 たとえば、故・いかりや長介がオープニングの22分コントの冒頭で、客席に呼びかける第一声目「オイ〜ッス!」も、しかり。黎明期のメンバーである荒井注の「なんだ、バカヤロー」、志村けんの「怒っちゃや〜よ」も、それに値する。そして、志村の「な(あ)んだ、バカヤロー」。これはのちに進化を遂げ、下アゴを突きだし、そのアゴに片手を添えながら発する「アイ〜ン!」につながった。

 余談だが、じゃんけんの際に使われる「最初はグー」も、志村の発案だ。“全員集合”に出演していたころは、夜の歓楽街で散財。ある店で、数えきれないほどの人数と飲んだとき、会計で揉めた。そのとき、「わかった。じゃあ、最初はグーで」と、酔った勢いで口走ったのが、志村だった。のちに、この言葉を番組で多用。すると、大人から子どもまでが使う常とう句となった。

 話を戻そう。ほかにブームとなったのは、志村の『東村山音頭』。ゲストとともに歌う“少年少女合唱団”からは、“早口言葉”も人気となった。そして何より、志村&加藤茶による“ヒゲダンス”。いつしか、不定期のワンコーナーという域を脱して、日本で知らない者はいないほどの一大ブームになっていた。やがて“全員集合”は、国民の2人に1人が見ている超モンスター番組に生育した。しかし、巨大化すれば、リスクも増える。親、教育委員会からクレームの対象になることも、往々にしてあった。

 加藤の「ちょっとだけよ〜。あんたも好きね〜」が、そうだ。これは、伴奏曲『タブー』に乗って登場した加藤が、ストリッパーを連想させる薄手のランジェリーに身を包んで、太ももをチラつかせる。そのとき、観覧席に座る男性に向かって発するセリフだが、当時の客の大半は未成年。ストリップなんぞ、知らない。そこで教育上好ましくないと判断したPTAが、こぞって中止を求めた。

 苦情の対象は、童謡の替え歌にもおよんだ。志村が童謡『七つの子』の冒頭を、♪からす なぜ泣くの からすの勝手でしょ〜♪とおもしろフレーズに替えると、PTAがご立腹。同シリーズ第2弾として、今度は加藤が『ぞうさん』を、♪ぞうさん ぞうさん お鼻が長いのね そうよ チンチンも 長いのよ〜♪と披露すると、過ぎる下ネタに、苦情が殺到した。

 小学生はエッチな言葉に爆笑するという心理をついた加藤は、「くるりと回って、うんこチンチン」というギャグを定着させようとしたこともあった。案の定、男子ウケは抜群だったが、親は猛反発。クレームの電話を入れることで、続発を阻止しようとした。それほど、当時は大人も子どもも、ドリフに振り回されていたのだ。

 しかし、帝国はやがて陥落する。81年にスタートした『オレたちひょうきん族』(〜89年/フジテレビ系列)が、ドリフ政権を崩しにかかった。ビートたけし、明石家さんま、島田紳助(引退)、山田邦子、片岡鶴太郎らが束になって、「楽しくなければテレビじゃない」をスローガンに掲げて、前例のない笑いを構築。“土8戦争”を買って出て、ついに勝利を収めたのだ。大敗を喫したドリフ陣は、潔く散った。時代は、ドリフからひょうきんへ。このとき、お笑い新世代の幕が開いた。そして、さんま、たけし、タモリの“BIG3”が到来するのであった−−。

(伊藤雅奈子=毎週木曜日に掲載)

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