冠番組は、軒並み高視聴率。ピーク時、『欽ちゃんのどこまでやるの!』(テレビ朝日系)は、平均世帯視聴率42.0%。『欽ドン! 良い子悪い子普通の子』(フジテレビ系)は、38.8%。『欽ちゃんの週刊欽曜日』(TBS系)も足すと、1週間3番組で合計視聴率が100%を突破。“視聴率100%男”の異名を取った。数多く生まれたタレントのなかでも、“欽ドン!”から生まれたイモ欽トリオ、“欽どこ”から生まれたわらべは、社会現象といわれた。
イモ欽は、81年に結成。ヨシオを山口良一、ワルオを西山浩司、フツオを長江健次が演じ、すでに役者だった山口、西山に、大阪の現役高校生だった長江が加わる形で始動した。しかし、長江はオーディションで落とされている。センターは、『東京ららばい』を爆発的にヒットさせた歌手・中原理恵に決定していたからだ。ところが、ここで欽ちゃんの“ひらめきボタン”が、突然作動。「中原は別ユニットで」と言いだしたのだ。
焦ったスタッフは、オーディション会場となったテレビ局をウロウロ。そのとき偶然、落選した長江を発見して、声をかけ、強引に合格させた。デビュー曲『ハイスクール・ララバイ』は、3人がレコーディング当日に楽曲を手渡されて、何もわからずに収録。長江が録っているあいだ、山口と西山は遊びで振りを考えた。レコードジャケットは、番組収録の合間に撮った。すべてが簡易的だったにもかかわらず、いきなり160万枚をセールスして、ミリオン歌手の仲間入りをはたした。
この「良い、悪い、普通」のシリーズは、イモ欽消滅後も続行。“良い妻・悪い妻・普通の妻”では、先の中原がふつ子(普通の妻)に抜てき。オリジナリティあふれるキャラクターで、人気となった。その後は、“良いOL・悪いOL・普通のOL”。演歌歌手だった松居直美、女優の生田悦子にとって出世作となり、ヨシ山(良いOL)を生田、ワル山(悪いOL)を小柳友貴美、フツ山(普通のOL)を松居が演じて、のちに、よせなべトリオを結成。『大きな恋の物語』で、歌手デビューもはたした。
イモ欽をしのぐ国民的アイドルとなったのは、わらべ。“欽どこ”から誕生した萩本家の三つ子は、のぞみ(高部知子)、かなえ(倉沢淳美)、たまえ(高橋真美)と命名。視聴者に、「あんな娘がいたらなぁ」と思わせるのが狙いだった。就寝前に、パジャマ姿で披露したエンディングソング『めだかの兄弟』をレコード化するや、いきなり88万枚を超える大ヒット。2ndシングル『もしも明日が……。』も、売り上げ1位を獲得した。ところが…。
83年末に発売された『もしも明日が……。』に、高部の姿は、ない。同年春、写真週刊誌にベッドで喫煙という衝撃的な写真が掲載されて、欽ちゃんファミリーはもちろん、芸能界を追放されたのだ。この“ニャンニャン写真”は、純粋可憐がセールスポイントだったわらべのイメージを覆し、昭和芸能史のなかで、いまだに語り継がれている。皮肉なことに、事件後、電話で高部が“復帰”出演した回は、番組史上最高の42%の視聴率を獲得している。
ちなみに、問題写真を出版社に売った知人はその後、自殺。“ニャンニャン”という造語はひとり歩きして、85年にスタートした『夕やけニャンニャン』(フジテレビ系)につながった。高部事件がなければ、おニャン子クラブも生まれなかった…かもしれない!?
同番組からは、小堺一機と関根勤も羽ばたいている。ふたりはそれまで、超マニアックなものまねでマニア人気を獲得していたが、“欽どこ”で扮したクロ子とグレ子がスマッシュヒット。コーナーが設けられるまでになった。関根はのちに、国民的お昼の長寿番組『笑っていいとも!』(フジ系)のレギュラー最長記録を保持するまでになった。小堺は、『ライオンのごきげんよう』(同)のメイン司会者として、平日昼の顔になっている。
小室哲哉やつんく、秋元康やジャニーズなど、音楽の世界ではつねに超スーパーヒットメーカーがいる。80年代のお笑いシーンにおいては、欽ちゃんがまさにそれ。革新という言葉で収まらないほどのムーブメントを、幾度となく起こしてきたのである。
(伊藤雅奈子=毎週木曜日に掲載)