また、オリックス・西勇輝投手もブログで一度阪神入りを否定しておきながら、結局入団。両者とも「複数球団に気を持たせた」だけに、反感を買っている様子。
そんな「FA制度」だが、成功を収めた選手はごくわずか。中には大失敗となった例もある。そこで今回は、そんなFA移籍選手の失敗例を振り返ってみよう。
①山沖之彦投手(阪急・オリックス→阪神)
高知県の中村高校から専修大学を経てドラフト1位で阪急ブレーブス入団。2年目から一軍に定着すると、山田久志・佐藤義則・今井雄太郎らとともに強い阪急ブレーブスを支え、1987年には19勝を挙げ最多勝を受賞した。
オリックスへの身売り後は、星野伸之とともに獅子奮迅の活躍を見せ、屋台骨を支えていたが、徐々に力に陰りが見え始めていた。そんな1994年、35歳の山沖はFA宣言。当時先発の駒不足だった阪神タイガースが大金を叩いて獲得に乗り出す。
会見では強気な言葉を連発した山沖だが、往年の力は出せず一軍登板のないまま引退。阪急ブレーブスの「勇者の魂」を持った男の1人だが、心無い阪神ファンにボロクソに言われ晩節を汚してしまった。
②川崎憲次郎投手(ヤクルト→中日)
津久見高校からドラフト1位でスワローズに入団。2年目から1軍に定着し、鋭いシュートとスライダーを武器に活躍。1993年の日本シリーズでは獅子奮迅の活躍でMVPを獲得している。
2000年、FA宣言で中日へ移籍。年俸は3年2億円といわれ、星野仙一監督(当時)の現役時代の背番号20を背負い、エースとしての活躍が期待された。
しかし、移籍直後から右肩痛に苦しみ、登板することができなくなってしまう。複数年契約だけに、「わざと働かないのでは」と揶揄されることになった。そして、ネット投票が解禁となったオールスターゲームのファン投票で1位になるなどして、中日ファンから陰湿な嫌がらせを受ける。
結局、2004年の落合博満監督初年度に開幕投手を任され、その後、数試合投げるも、かつての面影なく引退。川崎にとっても中日にとっても不幸なFAとなってしまった。
③片岡篤史内野手(日本ハム→阪神)
日本ハム時代はチームリーダーとして活躍し、若き日の小笠原道大や金子誠が慕っていた人物で、チームメイトから信頼されていた。
そんな片岡は2001年オフ、FAで阪神への移籍を表明。記者会見でなぜか涙を見せ、これが後に新井貴浩(広島→阪神)へと受け継がれることになるが、当時の日本ハムファンはこの様子を見て、「なら残れよ」と筆者を含めドン引きしたものである。
その後、阪神では日本ハム時代のような打撃ができず、阪神ファンからボロクソに叩かれる。また、今では考えられないが、「パ・リーグの野球ではセで通用しない」「パ・リーグのレベルが低いから打てない」などと揶揄する者もいた。
そして、日本ハムファンから送られたファンファーレ(応援の前奏)には、考えられないような歌詞が付けられる。優勝した2003年こそまずまずの成績だったものの、その後はベンチを温めるようになり、2006年引退。
彼の悲劇はここまでにとどまらず、金本知憲監督政権下で務めていた打撃コーチでも、ほぼ毎日、誹謗中傷を浴びせられた。日本ハムに残っていれば、今頃、監督を務めて居てもおかしくないくらいの人望とリーダーシップ、そしてファンからの信頼があったのだが…。
④仲田幸司投手(阪神→ロッテ)
阪神の左のエースとして1992年に14勝し活躍するも、制球難は相変わらずで、1995年にFA宣言し、当時不人気だった千葉ロッテマリーンズに移籍。しかし、制球難はいかんともせず、2年で引退している。ロッテとしては、全く戦力にならなかった。
⑤森福允彦投手(ソフトバンク→巨人)
社会人野球のシダックスで野村克也監督の指導を受けるなどして頭角を現し、ソフトバンクに入団。2010年頃から左の中継ぎ投手として重宝され、安定した成績を残す。
2016年にFA権を取得すると、巨人が名乗りを上げる。結局複数年契約で入団するが、2017年は要所で打ち込まれ、8月には二軍落ち。2018年は二軍暮らしで一度も上で投げていないが、1億2000万円(推定)を手にした。
⑥木村昇吾選手(広島)
愛知学院大学から横浜ベイスターズに入り、トレードで広島に移籍。カープではスーパーサブとして守備固め・代走・代打など、渋い活躍を続けていた。
ところが2015年、田中広輔や菊池涼介の台頭もありFA宣言。オファーを待ったものの届かず、引退の危機が迫ってしまう。それを救ったのは西武で、「テスト生」としてキャンプ参加をオファー。必死にアピールし、契約を勝ち取った。
後にも先にもFA宣言をしてオファーがなかったのは、現在のところ木村のみである。
オファーがなかった木村昇吾選手はともかく、移籍時はそれなりに期待されていた選手ばかり。しかし、実情は力が落ちており、全く成績を残せなかった。丸佳浩選手や西勇輝投手がどうなるかは不明だが、環境の変化による心労や故障で、「だめになってしまう」可能性もゼロではないだろう。
文・櫻井哲夫