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「幽霊博物館」の怪異「亡女の片袖」伝説

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画像はイメージです。

 大阪には、「幽霊博物館」なるものがある。
 場所は、大阪市の東南部に位置する平野区の大念仏寺。平安時代に良忍上人によって開かれたお寺で、大阪府下最大の木造建築物であり、国の登録有形文化財である本堂を持つ、融通念仏宗の総本山である。
 平野区界隈は旧平野郷と呼ばれる地域で、平安時代から荘園や綿花栽培で栄えた歴史ある町。戦時中に空襲を免れたこともあり、江戸時代以降の古い町並みと文化的遺産が多く残る町で、家庭や商店、地域に残る古い文化的資料を展示する「町ぐるみ博物館」と呼ばれる個人所蔵の資料館が点在する地域。
 大念仏寺の「幽霊博物館」もその一つである。
 ただし「幽霊博物館」の開館は、年に一度、8月の第4日曜日の一日だけ。
 この日は、広い境内の一角にある「客殿 瑞祥閣」におどろおどろしい字で書かれた木製の「幽霊博物館」の看板が掛けられ、年に一度の一般公開となる寺宝を目当てに、いつもはあまり見られない夏休みの親子連れの姿も目立つようになる。
 「幽霊博物館」の展示物は、寺宝である「亡女の片袖と香合」と、12点の幽霊画の掛け軸。
 愛知県岡崎市の九品院や三重県津市の普門寺、福井県坂井市の瀧谷寺など、各地のお寺に数点の「幽霊の片袖」とその縁起が伝わっているが、一般公開をしているお寺はほとんどないので、実物を間近で見ることができる絶好の機会だ。

 気温36度超えの残暑厳しい外の熱気と打って変わって、ひんやりとした冷気と線香の香りの漂う展示会場内には、壁面にずらりと幽霊画の掛け軸が掛けられ、まるで怨霊たちに取り囲まれて睨みつけられているような恐怖感すら感じる。
 幽霊画の掛け軸は無銘ではあるが、いずれも江戸時代のものだそうで、どのような経路でこの寺に12枚もの幽霊画の掛け軸が集まったのかは不明とのことだが、「姑獲鳥(うぶめ)図」や「累(かさね)怨霊の図」「平知盛(たいらのとももり)亡霊図」など、歌舞伎や文楽、落語や怪談噺などとしても有名な怪談話をモチーフにしたものが多く、どれも掛け軸から抜け出てきそうなほどの恨みや無念さの表情をたたえた迫、真に迫る肉筆画ばかり。幽霊画に興味津々の小学生に、観覧者の高齢者が物語の解説をする一幕も見られ、世代間交流や伝説を後世に伝える役割も担っているようだ。

 「亡女の片袖と香合」は、部屋の中央のガラスケースに入れられ展示されている。
 深い海老茶色の絹地に、鶴亀や胡蝶などが丁寧に刺繍された片方だけの小袖と、直径4cmほどの丸い香合(お香を入れる小箱)、そして縁起の絵巻とともに解説が添えてある。
 縁起絵巻と解説によれば、寺にはこのような伝説として残っている。
 元和三(1617)年、六月三日のこと。観音巡礼の旅をしていた奥州出身の男が箱根権現参拝を終えて休憩をしていたところ、死装束をまとった女の幽霊が現れて、
 「自分は、摂津国の住吉宮の神職をしている松太夫という男の妻である。旅の途中にこの谷で命を落とし、地獄に落ちて苦しんでいるので、摂津国にある大念佛寺というお寺で極楽往生への供養をしていただけるよう、夫に伝えてほしい」
と言い、自分と会った証拠として小袖の片袖と香合を手渡して消えてしまった。
 摂津国に向った巡礼の男は、松太夫を探し出して幽霊女の言葉を伝えて証拠の品を渡し、妻は大念仏寺で供養されて無事に極楽往生したという。
 その後、その片袖と香合は供養のために大念仏寺に奉納され、現在に至るという。

 一般公開は毎年8月の第4日曜日の一日だけなので、日程と時間を確認の上、幽霊の遺品をぜひ見ていただきたい。

(「催旺風水」あーりん 山口敏太郎事務所)

参照 山口敏太郎公式ブログ「妖怪王」
http://blog.goo.ne.jp/youkaiou

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