猿岩石は、有吉と森脇が1994年にコンビ結成。そして、1996年に日本テレビ「進め! 電波少年」の「ユーラシア大陸横断ヒッチハイク」にチャレンジし、大ブレーク。帰国後、デビュー曲「白い雲のように」は110万枚以上のミリオンセラーを達成。ヒッチハイクを綴った書籍「猿岩石日記」は250万部を売り上げ、大ヒット。2人は瞬く間に国民的お笑いタレントに成長した。
「ヨソで言わんとい亭」のレギュラー出演しているネプチューンの名倉潤から「森脇はもう素人やろ!?」と確認されると、森脇は「素人です」と返答。
そして森脇は、猿岩石時代ののMAX月収について、「元々は月収5万円」とブレーク前の月収を明かし、「本とかCDとかCMとかが偶然重なった時に、あんまり記憶にも無いんですけど、確か2000万円」と告白した。しかも、受け取り方法は手渡しだったという。「忙しくて使う間もないからドンドン貯まっていくだけで、近くのATMまで2人でコソコソ行って、ATMに入れて…」と現金でもらった月収を銀行口座に振り込んでいたという。
元相方の有吉との関係性については、「元々幼なじみというか小学校の頃から一緒なんで、だからあんまり話さない照れくさくて」と語り、現在は連絡をとっておらず、「電話番号、多分わかんないですね。昔の番号しか知らない」と明かした。ただ、以前一度だけ寿司屋で偶然再会したという。
猿岩石時代や有吉との関係性を赤裸々に明かした森脇は現在、ブランド品などを海外から輸入販売する店舗で勤務している。「今はサラリーマンやってます。輸入卸の会社で働いています」と明かした。
そして最後に、「なぜ芸能界を引退したのか?」という質問に対しては、「ちょうどデビューしてから10年、芸能界で一区切りだなと思った時に、ちょうどお店もやってたんですよ。副業で。どっちかというとお店の方が自分を必要としてくれているなっていうところがあったんで」。芸能界よりもお店の方に求められていたと明かし、「売れたとか売れなくなったとかいうよりもその10年間は良い思い出っていうだけ」と答えた。
番組レギュラーの次長課長・河本準一から「完全に未練とかも全くないですか?」と質問されると、「ないですね」と断言した。