私が国分町を訪ねたのは3月22日だった。この当時は、ラーメン屋さんくらいにしか開いてなかった。ラーメンを食べた後、キャバクラに行くことにした。国分町は人が徐々に集まって来ていたが、開いているキャバクラはまだ少ない時期だった。
大衆店にまず入ってみることにした。そこでまず最初に知り合った嬢(20)は、七ヶ浜町出身だった。し震度は5強だった地域だ。町災害対策本部によると、6月1日現在で、97人が死亡、6人が行方不明だ。この地域は携帯電話が通じないばかりか、固定回線もつながらなくなった。通信業者の話では、そこまで被害が大きくなるとはまさに想定外だった。
地震が起きるのは午後2時46分だが、その前に、嬢は仙台方面で友達に会っていた。そして、自宅に帰ろうとした時に地震があった。しかし、車に乗っていたために、それほど大きくは感じなかった。JR仙石線の中野栄駅(仙台市宮城野区)付近に差し掛かった時だった。津波がやってきたのだ。
「まさか、こんなところにも津波がやってくるとは思ってなかったんです。最初は津波とは思わず、『え? 何?』とびっくりしただけですが」
中野栄駅自体は被害がなかった。しかし、メインの通りである国道45号線では、一部は亀裂が走っていた。22日に訪れた時には、道の両端に津波に飲まれた車がたくさんあった。信号は消えており、車の通りも少なかった。もちろん、ガソリンが不足していたこともあるが、住民達は避難所暮らしをしていたためだろう。
中野栄駅は、仙台東部自動車道(東部道)のやや西側にある。今回の震災での津波は、この東部道よりも東側に被害が多かった。東部道がやや高くなっているために、堤防の役割を果たしていたと言われている。仙台塩釜港から遠くない距離だったが、駅までは被害はなかった。その代わり、同じ45号でも、多賀城市に入ると、ちょうど東部道と交差するために、東側に出てしまう。そのため、45号も多賀城市内に入ると、被害が激しくなる。
この嬢がどの時点で津波に飲まれたのかははっきりしないが、この付近であることは覚えているという。
「車の中にだんだん海水が入って来たんです。あー、これはだめだ、って思ったんです。でも、そうしているうちに、波が引いたんです」
車ごと津波に飲まれながらも、押し波から引き波になったという。そのとき、嬢は車から逃げようと決意する。
「どこまで津波で流されたんだかはっきりしませんが、車が止まってしまったので、エンジンをかけ直したんです。でも、エンジンがかかりませんでした。そのため、この状況から脱するために考えたのは、ハイヒールを捨てて、泳いで逃げることでした」
この嬢の話を聞いた後、津波に飲まれてすぐにエンジンをかけると、エンジンがかかりにくくなるということを被災地の人に聞いた。しかし、この嬢にそんな知識はなかったし、パニックになっていたのだろう。ただ、機転が利いた。もうどう見られてもいいと思ったことだろう。まだ、津波が完全に引かない中で、泳いで逃げたのだ。そして、知らない場所にたどり着いた。助かったのだ。
ただ、すぐには家に帰れない。近くの避難所で一日過ごした後、翌日に自宅に戻った。自宅は一階は津波で被害があったが、二階は大丈夫だったようだ。とはいうものの、家族は誰もいなかった。心配になった嬢は、近くの友達に「学校が避難所になっている」という情報を聞く。
しばらくして学校に行くものの、家族はどこにも見当たらない。諦めて、再び自宅に戻ると、母親が帰って来ていた。そして、嬢にこう言った、という。
「あら、生きてたの?」
母親は、あっけらかんとしていた。嬢はこのときの会話を複雑な思いでしていたことだろう。冗談なのか、危機の中で冗談しか言えなかったのかはわからない。嬢は「う、うん」とうなずくことしかできなかった。
<プロフィール>
渋井哲也(しぶい てつや)フリーライター。ノンフィクション作家。栃木県生まれ。若者の生きづらさ(自殺、自傷、依存など)をテーマに取材するほか、ケータイ・ネット利用、教育、サブカルチャー、性、風俗、キャバクラなどに関心を持つ。近刊に「実録・闇サイト事件簿」(幻冬舎新書)や「解決!学校クレーム “理不尽”保護者の実態と対応実践」(河出書房新社)。他に、「明日、自殺しませんか 男女7人ネット心中」(幻冬舎文庫)、「ウェブ恋愛」(ちくま新書)、「学校裏サイト」(晋遊舎新書)など。
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