フランクリン探検隊は北西航路開拓史上最悪の悲劇であり、同時に最大の謎を残したとされる。そして、現在でもなお多くの人々が謎の解明を試みる、非常に興味深い歴史的事件なのだ。
まず、フランクリン探検隊は北極探検の経験者を多数含む海軍の精鋭からなる、非常に大規模な探検隊であった(当初は134名だったが、途中で5名が任を解かれて帰国した)。彼らが乗った2隻の軍艦、エレバスにテラーは1839年から1843年にかけて南極での探検調査にも用いられており、船体は流氷にも耐えうるよう補強されていた他、蒸気機関を始めとする当時最新鋭の装備が施されていた。さらに、探検隊はやはり当時最新鋭の保存食である「缶詰」を大量に用意し、無補給でも数年間の遠征が可能となっていたのである。
そして、なにより探検の成功を約束しているかのように思われたのが、隊長であるジョン・フランクリン卿の経験と輝かしい実績だった。ジョン・フランクリンは1820年代に北極圏を3回も探検しており、特に1819年から22年にかけての遠征では20名の隊員から9名もの死者を出すほどの難行だった。ところが、イギリスではむしろ途方も無い困難を乗り越えた勇気の男として評価され、飢餓のあまりに長靴の革を食べようとしたことから「靴を食った男」とも呼ばれるようになっていた。そして1825年にはカナダ最長のマッケンジー川を探検し、名声を確固たるものとしていたのである。
探検隊は1845年にイギリスを出発し、途中のグリーンランドで数名の隊員を帰国させた後、カナダ北部で捕鯨船と遭遇したのを最後に消息を絶った。そして、大規模な捜索の結果、冒頭に述べたように悲惨な最後を迎えていたことが明らかとなったのである。
そして…。
フランクリン探検隊は、北極圏のどこで全滅したのか?
フランクリン探検隊は、いかなる理由で全滅したのか?
フランクリン探検隊は、どのような最後を迎えたのか?
これらの謎が残されたのである。