大会前の合宿から強いリーダーシップを発揮し、「何としても優勝したい」とアジア制覇に向けて強い想いも見せている。若いメンバーが増えた中でベテランとして発揮する存在感は頼もしい限りだ。
主力を休ませた今大会グループリーグ3戦目のウズベキスタン戦を除き、過去2大会から途中交代なしで全試合に出場を果たしてきた。
■優勝の記憶、そして苦い経験も
長友にとって初のアジアカップとなった2011年大会では、前年のワールドカップ南アフリカ大会をともに戦った本田圭佑、長谷部誠、川島永嗣らとともに日本の4度目のアジア制覇に大きく貢献した。準決勝の韓国戦、決勝のオーストラリア戦はともに延長にもつれ込むも、スタミナを切らすことなく左サイドを支配し続ける。オーストラリア戦、延長後半の李忠成の決勝ゴールも駆け上がった長友の正確なクロスから生まれた。
大会からおよそ半年後には当時所属していたイタリアセリエAのチェゼーナから名門インテルへ完全移籍を成し遂げる。この際、「ようこそアジアチャンピオン」 とイタリア国内で報じられたという。
しかし、ベスト8で敗退した2015年は精彩を欠いた。
グループリーグを3戦全勝で迎えた準々決勝のUAE戦。この試合も長友はフル出場するも、延長戦に入り疲労から右太ももを負傷。後半までで既に3人の交代枠を使い切っていたため、ハビエル・アギーレ監督(当時)は動きのままならない長友のポジションをトップ下へ移す決断に出た。
UAEゴールに30本を超えるシュートを浴びせ続けたが勝ち越すことができず、PK戦で敗退。長友の負傷がそのまま勝敗に響いた結果となった。
■ベテランとしての役割を果たして
同じくベテランの吉田麻也とともに、3大会連続出場となった今回のアジアカップ。
1月21日に行われたベスト16での対サウジアラビア戦、ノックアウトステージ8試合の内唯一、優勝経験国同士の顔合わせとなったこの試合では精力的な動きを披露するとともに、積み上げてきた経験を感じさせるシチュエーションが見られた。
序盤から出足が早く主導権を握るサウジアラビアに対し、日本が攻め込まれる場面が目立ったこのゲーム。前半16分には長友からの強いバックパスをGKの権田が蹴り損ね、タッチラインを割ってしまう場面があった。失点にはつながらなかったものの、後の権田のプレーに響き、さらに試合の流れを完全に奪われかねないベテランのミス。長友は周囲に対し非を認めるしぐさを見せる。
その1分後、同じようにGKにバックパスを送るシーンが訪れる。ここで長友は勢いを弱めるだけでなく、権田の利き足である右足へボールを送った。権田はストレスなくそのボールを前線につなぎ、攻撃の起点としての役割を果たす。
劣勢の中、チームの士気を盛り返し、仲間の自信も取り戻すために、確実なプレーを通してメンバー全員にメッセージを伝えたように感じられた。
そしてその直後、日本のセットプレーからこの試合で唯一のゴールとなる冨安健洋の決勝点が生まれた。(佐藤文孝)