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その後のハーフ芸人事情、再び!

 デニス・植野行雄やマテンロウ・アントニーのように、さかんにテレビに出ているわけではない。テッパンネタを、いくつも持っているわけではない。しかし、この“2TOP”のように、外国語を話せない次世代のハーフ芸人は、まだいる。再び紹介していこう。

 “よしもとのウエンツ瑛士”と呼ばれるほど、超イケメンなのは、あわよくば・ファビアン。父がドイツ人で、母が日本人。透き通った肌に、キラキラした瞳は、ジャニーズアイドルさながらだ。

 一家は、ファビアンがお腹の中にいるとき、徳島県に移住。日本の文化しか知らずに育ったため、当然のように日本語を話せない。成人後は、慶應義塾大学に進学。モテるコースを着実に歩んだが、英語は不得意のまま。好きな教科は、古文と漢文と日本地理という鉄のポリシーを貫いた。

 父がイラン人、母が日本人なのは、デスペラードのエマミ・シュン・サラミ。イランの民族衣装に身を包んだ漫才では、“M-1グランプリ”の準決勝まで進出したほど、その腕は本物だ。

 すごいのは、幼少期。イラン革命が起こった年に産声をあげた。父はテヘラン大学の教授だったが、革命が起こったことによって、サラミが9歳のときに、母の故郷である北海道に逃避。ファビアンと同じく、日本の文化にまみれて育った。

 見た目は、バリバリの中東系。そのため、バイトの面接は落ちまくり、30社以上で不採用になった経験の持ち主。銭湯へ行くと、子どもから「テルマエ・ロマエだ!」と、古代ヨーロッパと銭湯をモチーフにした大ヒット映画に揶揄されることもある。

 フィリピンパブに通っていた遊び人の妻帯者が、そこのホステスを口説き、前妻と離婚。再婚したフィリピン人とのあいだに産まれたのは、おもんばか・大久保健。名前も顔も、きわめて日本人のため、コンパでは「ハーフはまだ来ないの?」と聞かれるほど。フィリピン人の母は、超美人。故郷の駅名になったほどだ。

 年々増えている、ハーフ芸人。しかし、出自だけではもう、笑いを取ることができなくなりつつある。その前途は厳しく、テレビで活躍できるのは実力も兼ね備えた、ほんのひと握り。ハーフ芸人に、明るい未来は待っているのか?(伊藤由華)

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