新潟を知り尽くし、新潟記念の勝ち方を誰よりも知る男が、窮地を救った。横一線、内外に広がった直線の激しい追い比べからホッコーパドゥシャがグイッと抜け出した。
鞍上にいるはずの石橋脩騎手が9Rで落馬負傷。急きょ乗り替わった江田照騎手が、見事にVゴールへ導いた。サマー2000シリーズ王者へ、勝つことが条件という狭い可能性を、ベテランの腕がこじ開けた。
「乗りやすい馬だったし、たまたまいい感じでね…」と謙遜したが、随所に技が光った。スローを見越して道中は前めの6、7番手で折り合いに専念。直線は「エンジンのかかりが遅いタイプだから」と早めに仕掛けて、不利を受けない外へ持ち出していた。
1990年のサファリオリーブは自身の重賞初V、2005年のヤマニンアラバスタは苦労して育てたお手馬だった。騎手の同期だった村山調教師から託された3度目の新潟記念Vは、また違った味がしただろう。
そんな村山調教師も、交流重賞こそテスタマッタで今年のジャパンDダービーを制したが、JRA重賞は初。名門・角居厩舎から独立、08年9月の開業からわずか1年足らずで、サマー2000の優勝まで手に入れた。
七夕賞3着、小倉記念2着からの転戦。夏に重賞を3戦するのは、陣営の細かなケアに支えらていた。小倉記念の後、減った体が戻らず、目の周囲が黒ずむ夏負けの兆候が出た。そのため普段の坂路2本を1本に減らし、血液検査で内臓面のチェックも徹底した。
また2月に解散した浜田厩舎から受け継いだパドゥシャには、敢えて村山流を封印。「うちの追い切りは通常CWコースですがこの馬は坂路。バンテージも巻かず、馬が転厩で違和感を感じないようにした。サマーシリーズにはこだわらず、馬の状態を優先した結果が実った。しかも同期の江田ジョッキーで初重賞を取れて、縁を感じます」と笑みを浮かべた。
この勝利で今後の活躍にも期待が広がった。当初は豪州のメルボルンCを狙っていたが、秋の天皇賞に目標を「上方修正」したという。
「ウオッカが相手より海外の方がいいと思ったんですがね。母の父がヤエノムテキ(90年V)の父でもあるヤマニンスキーだし、今日の結果からも東京の二千は合うでしょう」とうなずいた。
師匠の胸を借りる舞台が、早くも巡ってきそうだ。