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名古屋市中区錦2丁目の不思議

 愛知県名古屋市中区錦2丁目8番地の辺りでは、不思議なことに火事が起こったことが一度もなかったという。

 『那古野府城志』にも「古来より当町内には火難なし」という記述がある。錦2丁目には、桑名町通りと袋町通りが交わる交差点があるが、この一帯は『清明ヶ辻』と呼ばれている。平安時代、陰陽師として活躍した安部清明と関係がある。

 寛和3(987)年2月、都の煩わしさから逃れるために、清明は5人の弟子と奥州へ旅立った。

 一行が尾張の国(愛知県名古屋市)に辿り着いた時、弟子の一人であった智光が病にかかり、動けなくなってしまった。清明らは上野村(名古屋市千種区)に草庵を借り、暫くの間、この地に滞在して智光の治療にあたることにした。

 しかし、智光の容態は悪化するばかりで、さすがの清明の呪術をもってしても智光の命を救うことはできなかった。清明と弟子たちは、この地に智光を葬ることにし、その場所をどこにすべきか考えた。弟子の一人が、「矢作(川)に抜ける街道と熱田の宮(熱田神宮)に向う街道の辻に、松の木が一本そびえています。旅人が松を見て心安らぐかもしれません。そこに葬りましょう」と提案した。皆、この案に異存はなかった。

 智光を葬るための穴を掘っていると、5人の村人がそれぞれ鋤や鍬を手にし、「私達にも協力させてください」と、手伝いにきた。穴を掘り終えると、「お礼にあなたたちの困っていることを救ってあげましょう」と清明が言うと、「私達の村では火事が多くて困っています。火事が起こらないようにしてください」と村人は訴えた。清明は智光の塚に火災を防ぐ護符を一緒に埋めた。塚が作られてからは、その村では火事が一度も起こらなかった。

 この時、清明らが住んでいた草庵跡には、現在、清明神社が建てられ、また智光が葬られた塚のあった場所は『清明ヶ辻』と呼ばれるようになった。

(「三州(さんず)の河の住人」皆月斜 山口敏太郎事務所)

参照 山口敏太郎公式ブログ「妖怪王」
http://blog.goo.ne.jp/youkaiou

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