この川上氏超えは、長嶋氏にとって重大な意味があった。川上前監督からバトンを受け、75年に発足した長嶋政権はファンの絶大な支持を背景に「永久政権」と言われたが、わずか6年間で終わっている。しかも、電撃的な解任だ。「昭和55年10・21事件」として、球界だけでなく、社会的な大事件として世間を震撼させた。怒った長嶋ファンが読売新聞の不買運動を起こしたり、様々な分野で波紋は広がるばかりだった。
この長嶋解任事件の黒幕が当時巨人軍のドンと呼ばれていた川上氏だった。あの他人の悪口を言わない性格の長嶋氏が、解任後に『黒幕は野沢のオヤジだ」と吐き捨てている。名前を口にするのも嫌で、川上氏が世田谷区野沢に住んでいるところから、そう言ったのだ。
長嶋氏がそう言い切るのも当然だった。80年のオールスター休みの際に、巨人軍OB会親睦ゴルフが開催され、その夜に週刊誌の企画で川上氏ら有力OBたちが座談会をやった。その中で「長嶋では勝てない」という大合唱があり、「藤田、次はお前が監督をやれ」と、川上氏が藤田元司氏をポスト長嶋に指名するくだりがあったのだ。後日、「酒も入っていた席だから出た冗談で、ああいう席で本気で言うわけがないだろう」と川上氏は釈明したが、その通りに事は運んだのだから、冗談ではすまされないだろう。
そもそもV9監督・川上氏からミスター・ジャイアンツ長嶋氏へのバトンタッチの舞台裏では、きな臭い動きがあった。
川上氏は勇退して、球団専務取締役に就任。本人は長嶋新体制の後見人として、現場にも積極的に関与するつもりだった。実際に「川上さんは長嶋さんに『牧野と森は残せ。堀内はトレードに出せ』というアドバイスをしている。が、長嶋さんはすべてを蹴っている」とV9巨人時代の担当記者はこう証言している。
川上体制の参謀役の牧野作戦コーチの留任、投手陣をリードしてきた現役引退の名捕手・森の入閣、V9エース堀内のトレード。どれもチームの骨格となる人事だ。長嶋新監督は川上カラーを一掃して、「巨人維新」を目指していたのだから、受け入れられるはずがない。「クリーン・ベースボール」をキャッチフレーズにした長嶋政権が川上色の強い牧野コーチを残留させ、引退した森捕手をコーチに昇格させることなど望む方が無理だろう。が、川上氏はV9監督の威光があれば、お飾りの専務取締役でなく、メジャーのゼネラルマネージャー的な仕事を与えられると思っていたようだ。
しかし、長嶋新監督に人事のアドバイスを一蹴され現実に目が覚めたように、実際には「企画担当」として、少年野球の指導が主な仕事だった。そのことを思い知らされた川上氏は1年間で専務取締役の職を辞し、今度はなんと読売とは最大のライバルである朝日新聞に急接近していったのだ。「プロ野球は読売、アマ野球は朝日新聞」という色分けがあったからだ。