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新重賞今昔物語 1999年大阪杯 2000メートルの鬼サイレントハンターが魅せた

 「逃げ馬が好きだ」という人は多い。相手に迎合せず、勝っても負けても、自分の型を貫こうとする。胸のすくような勝ったときの強さ、そして負けたときのはかないまでの潔さ。自分もそうありたいと思っても、社会の荒波のなかでは、おぼれないように生きていくだけで精いっぱいだ。だから人は、逃げ馬に夢を託すのかもしれない。

 GIこそ勝てなかったものの、サイレントハンターもファンの印象に残っている逃げ馬の一頭だろう。けれんみのない快速ぶりで、何度も大舞台をわかせた。ときに強く、ときにモロく…。
 だが、そんな自分の型を見いだすまでは意外と時間がかかっている。3歳1月のデビューから4歳春までは中団から伸び切れないレースを繰り返す、どこにでもいる条件馬でしかなかった。気性面の問題で、父サンデーサイレンスから受け継いだ素質を持て余していた。
 変身のきっかけをつかんだのはブリンカーとの出合いだった。初装着となった1997年4月の摂津特別(900万)を10番人気で逃げ切りV。そこからは勝っても負けても逃げにこだわるレースを続け、スターホースの一頭になるまでそう時間はかからなかった。

 そんなサイレントハンターのベストパフォーマンスが99年の大阪杯といっていいだろう。1000メートルの通過が60秒2という余裕たっぷりの逃げで後続を完封。菊花賞馬マチカネフクキタル、香港GI馬ミッドナイトベットといったそうそうたる顔ぶれを問題にしなかった。
 いろんな距離を走ったサイレントハンターだが、やはり2000メートルでの強さは格別だった。11勝のうち実に9勝が2000メートル。ちなみにこの通算勝利数11は、後にディープインパクトが12勝を挙げるまでSS産駒の最多勝利記録だったということを知る人は少ないだろう。
 サイレントハンターは2001年秋の天皇賞を最後に引退し、鹿児島で種牡馬となった。途中07〜08年まで北海道に渡ったが、今年の種付けから再び鹿児島で汗を流す予定だ。昨年8月、小倉で行われた九州産限定の新馬戦では自身の産駒が1〜3着を独占。九州でも確実にSSの血は浸透している。

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