そして、彼女たちは最初の撮影から3年後の1920年にも妖精を写真に収め、都合5枚の妖精写真を撮ったとされる。
最初に撮影された写真の鑑定では「ネガもプリントも修正されておらず、写真は野外で撮影され、多重露光でもない」との結果が出ていた。ところが、撮影から57年後の1974年に、美術史家のゲティングスが写真の妖精と同時代の絵本に登場する妖精とが、偶然とは思えないほど酷似している点を指摘した。そして、それがきっかけとなって撮影者たちは「ネガもプリントも修正せずに多重露光でもない野外撮影の秘密」を、つまり絵本をなぞって切り抜いた紙の妖精を使ったトリックを告白したのである。
しかし1920年8月に撮影した妖精写真について、ふたりとも最後の1枚はトリックを用いなかったと語った。そしてふたりはそれぞれが、最後の写真を撮影したのは自分であるとも証言したのである。そのため、最後の写真は本物の妖精が収められていると考える人が、現在でもそれなりに存在している。
とはいえ、この写真についてもトリックであることが明らかとなっており、問題の焦点は「なぜ撮影者はトリックではないと信じていたのか?」という部分にある。
本人でさえ気が付かなかったトリックを解き明かすカギは、撮影したカメラに存在していた。まず、最初の撮影には箱型のボックスカメラ(W.Butcher&Sons社製“The Midg”)を使っているが、最後の撮影にはオカルト研究家からプレゼントされた蛇腹カメラ(W.Butcher&Sons社製“Pocket Cameo”前期型)を使っており、それぞれ異なっているのだ。そして、ボックスカメラは連続撮影が可能だったのに対し、新しい蛇腹カメラは撮影するごとにガラス乾板(古い時代のネガ)を入れ替える必要があり、もちろん連続撮影は不可能だった。
それぞれの特性と、撮影したふたりが新しい蛇腹カメラには慣れていなかったであろうことを考えると、答えは単純かつ明白であろう。
使い慣れない新しいカメラを使ったため、箱型カメラのつもりで同じガラス乾板へ多重撮影したのは、ほぼ間違いない。そして、最初に撮影した写真の鑑定結果が、後から撮影したものにも強い印象を与えてしまったことが、事態を無用に複雑なものとしてしまったのだ。
ただ、ふたりとも終生にわたって単純な錯誤に気が付かず、意図せずに撮影した不思議な写真への驚きを抱えたままだったのは、とても幸せなことだったといえよう。
(了)