「イメージしているのは北海道に新球場を造ること。寒い北海道に開閉式屋根、天然芝の球場を造るということは、絶対に2023年に(新球場に)行くとした固い決心なので、そのためには、まずは良いチームを作って」
札幌市は日本ハム球団に複数の提案を示し、“市内残留”を働きかけていくという。
同時点で地元メディアが「有力」と伝えていたのが、2か所。札幌ドームにも近い「八紘学園の私有地と月寒ドーム跡地を足した約13ヘクタール」と、「JR札幌駅と同・桑園駅、地下鉄・北24条駅に囲まれるようにして位置する北海道大学構内の西側か北側の約10ヘクタール」だ。
「他にもいくつかの候補地が伝えられました。でも、そのほとんどは土地所有者との話が進んでいませんでした。八紘学園と北大の土地は有力候補地ではなく、可能性が残っていた最終候補地と見るべき」(地元記者の一人)
先の栗山監督の発言が出た同日、市内ホテルで“渦中”の八紘学園が理事会を開催した。それに至るまでの間、同学園の木村宏理事長は地元メディアの個別取材にも応じてきた。同理事長は「球団という一企業のために」と公共性に疑問を呈しつつも、「正式な要請が札幌市からあれば、理事会に諮る」と答えてきた。
その正式な要請が学園側に届いたのは、3月9日。そして、同27日の理事会で話し合われたのだ。
地元メディア陣の一人がこう言う。
「理事会の会場となったホテル前には道内のテレビ局、新聞社が大勢集まっていました。予算など、理事会で承認を得なければならない本題もあったので、異例の4時間を費やしたと(学園職員が)話してくれました」
翌28日、木村理事長自らが札幌市役所を訪ね、「売却承認」の理事会決議を伝えた。この時点で、まだ北大側は返答していなかった。つまり、札幌市は八紘学園に断られていたら、球団への提案はゼロになっていたわけだ。
「札幌市民のなかには『ファイターズが市内から出ていく』の諦めムードもありました」(前出・地元記者)
そのライバルである北広島市は、球団担当職員を交えた実務者協議会も行っている。同時点で、「4月には4度目のそれも予定されている」とも伝えられていたのだから、札幌市民が悲観的になるにも当然だろう。
札幌市が日本ハム球団に新球場候補地の提案書を届けたのは、4月14日。北広島市に約4か月も遅れたわけだが、秋元克広市長自らが足を運んでいる。球団側も島田利正代表が対応し、誠意を見せた。当然といえば当然だが、両者の話し合いは約1時間半にも及んだ。そのロング会談後、同代表は囲み取材に応じ、意味シンなコメントも発している。
「一部報道では(新旧場は)4万人の収容人員規模とありましたが、我々は、座席数は求めていない。3万5000とか、それ以下でもかまわない」
球団は商業施設を兼ね備えたボールパーク候補地として20ヘクタールを求めたとも報じられていた。記者団は候補地面積についても質問した。
「八紘学園の土地を含めた候補地は13ヘクタール、北大は10ヘクタールと聞いているが狭いのでは?」
島田代表は穏やかな表情のまま、こう答えている。
「現時点では狭いかなあと思いますが、今後の話し合い次第だと思います」
札幌を拠点とする取材記者らしい質問も出た。「札幌にあって、北広島にないものは?」とも取材陣は聞いている。
「交通アクセスだと思います」
島田代表は間髪入れずにそう答えた。
この「交通アクセス」の言葉を聞いて、あることを思い出した。
日本ハム球団は札幌移転を検討していたとき、実は札幌市以外の候補地も視野に入れていた。これは移転1年目の2004年オフ、正式に取材アポを取り、対応してくれた球団職員から出た話なので間違いない。また、最終的に他候補地ではなく、札幌市に決めた理由だが、「交通アクセス」と「人口密度」だと話していた。
島田代表の「札幌にあって、北広島にないもの」の回答がリップサービスでなければ、札幌市が4か月の出遅れを取り戻すチャンスは十分にあるのではないだろうか。(スポーツライター・飯山満)