スランプに陥っていた大阪時代、宮迫は松本の幼なじみで、大人気放送作家の高須光聖さんに相談をした。「僕、ゴールデン(タイムの)帯(番組)とか出れない人間なんですかね?」。その言葉を聞いた高須さんは後日、松本を誘って、当時大阪にあった若手育成劇場・心斎橋二丁目劇場に足を運んだ。
その日もステージには、若手芸人が大勢出ていた。はじまって数分後、松本は、「帰ろう。俺と仕事するやつがわかった」と席を立った。高須さんが“俺と仕事するやつ”を聞くと、松本の口から出たのは「宮迫」だった。この話をのちに聞いた宮迫は大号泣。仕事を続ける唯一の励みになった。
数年後、東京に進出。関西では大人気アイドル芸人だったが、東京では無名。仕事はゼロになり、精神的に追い詰められた。そんな日々を送っていた1999年、千載一遇のチャンスが訪れた。芸人にとってあこがれの番組『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』(日本テレビ系列)から出演オファーが届いたのだ。しかも、松本から「宮迫をメインで」という、信じられないオーダー。「雨上がりだよ!全員集合ー!!」という最初で最後の企画だった。
これは、司会の宮迫と蛍原徹が、ダウンタウンら先輩芸人にタメ口でツッコミを入れまくり、最後に山崎邦正(月亭方正)が激怒するドッキリ風。過去に、ココリコ・田中直樹が挑戦したが、惨憺たる結果に終わったため、芸人にとってはトラウマの企画といえた。
そんな無謀なチャレンジを受諾した宮迫は、収録日までの10日間眠れなかった。しかし、本番では捨て身になり、ダウンタウンの頭部へパンチ、ヒザ蹴り、延髄蹴りまで放ち、松本の頭をつかんで、「おまえ、座れ。正座せぇ」と過激な発言を浴びせ、現場スタッフを凍りつかせた。ダウンタウンがキレたら、その場で芸人を辞める覚悟だった。
ところが、このわずか30分番組で、宮迫の人生は好転した。23時台であるにもかかわらず、視聴率は20%超えを達成。一気に5本のテレビ出演が決まり、そのなかに、のちにレギュラー化するフジテレビ系の大人気バラエティ“ワンナイ”シリーズがあった。同番組からは、宮迫&山口智充によるデュオ・くず、ガレッジセール・ゴリが女装した松浦ゴリエが誕生。くずは、リリースしたシングルがオリコン週間ランキングでトップに輝く快挙。ゴリエは“NHK紅白歌合戦”に出場するなど、音楽業界でも成功を収めている。
宮迫の裏に松本あり。2人の間には、誰も介在できない深い絆と信頼があるのだ。