若井は幼少期、母と兄から虐待を受けており、自殺願望が芽生えた。1日も早い自立を求めて、20代前半で居酒屋を経営した。名義は、唯一の拠り所だった父にした。ところが、味方であった父が他界すると、名義が兄たちに強奪され、若井はすべてを失った。
人生に絶望したため、全貯金を使って東南アジアへ出発。死ぬことが頭をよぎっていたころ、偶然、日本人観光客に出会った。その人たちから、若井が大好きな松本が、日本でドラマに出演していることを知らされた。笑いにストイックな松本が、芸人以外の仕事をするはずがないと耳を疑ったが、その真実を確認するために一時帰国。
連ドラ『伝説の教師』(日本テレビ系)を観た。作中の台詞である「人間は笑うために生まれてきたんや」が胸に突き刺さった。その後、人生を完全リセットするために、30歳目前に、よしもとクリエイティブ・エージェンシーが運営するタレント養成学校の大阪NSCに入学。晴れて、芸人になった。
このドラマの主題歌は、↑THE HIGH-LOWS↓の『青春』。同グループは、95年に解散したロックバンド・THE BLUE HEARTSの甲本ヒロトらが結成したものだが、その甲本も、松本で命拾いをしている。
90年代のバラエティシーンでその名をとどろかせた『ダウンタウンのごっつええ感じ』(フジテレビ系)。そのエンディングテーマに、↑THE HIGH-LOWS↓の1stアルバムに収録されていた『日曜日よりの使者』が起用された。これには、深いワケがあった。
繊細な甲本はブルーハーツ時代、複合的な要因で悩み、不安を抱えていた。かなり追い詰められ、自殺しようと決意した。日曜日の午後11時ごろ、行動に移そうとしたそのとき、つけたままのテレビから、くだらない立ち話をする男性2人と、女性客の笑い声が聞こえてきた。今も続く『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』(日本テレビ系)だった。気づけば見入っており、「俺、まだ笑えるじゃん」と思い、自殺をやめた。
この実話をベースに完成したのが、『日曜日よりの使者』。日曜日は放映日、使者はダウンタウンを意味した。松本が結婚をした際、SMAP・中居正広や木村祐一、ケンドーコバヤシ、雨上がり決死隊・宮迫博之などで身内のパーティーを開いたが、その席に甲本がサプライズゲストで登場。この名曲を披露したというエピソードがある。
笑いの求道者・松本は、日本になくてはならない存在なのだ。