前年の大正3(1914)年に始まって長期化の様子を見せていた第1次世界大戦の影響で、従来のドイツ製品の輸出が止まっていたせいもあるが、やはり製品の品質が評価されたのだ。欧米市場で早川式繰出鉛筆は大好評を博し、追加注文が相次いだ上、ほかのいろいろな外国商館からの注文も殺到した。徳次の工場は増産態勢に入る。翌大正5(1916)年には隣家を買い足して工場を拡張し、職工も増員した。
輸出用の製品には「徳次」の頭文字「T」を握って高く掲げている“手”を商標として入れた。国内の三越、白木屋、松坂屋といった百貨店からも注文が入り、こちらは各店のマークを入れて納品した。こうした動きをみて徳次たちの売り込みに見向きもしなかった問屋筋も、われ先にと注文を開始したが、品不足でなかなか入手できない状態だった。
早川式金属繰出鉛筆の売れ行きは好調だったが、徳次は製品に改良を加えることを怠らなかった。もっと芯(しん)を細くできないかと考え、いろいろと道具を探し回った。そしてアメリカ製のドリルにたどり着いた。西洋ドリルと呼ばれるその道具を使えば、鉛筆の芯を通す金属パイプに、徳次の望む細さの孔(あな)をあけることができた。芯を極細のものにして、外装もそれに合うように加工した。これらの工夫を加えた後、徳次にとってほとんど理想の繰出鉛筆が完成した。
さっそく政治に見せると「これはいい。今のより、もっと売れるぞ」と喜んだ。新製品をアピールする名前をつけたかった。政治が「シャープっていう言葉を使ったらどうだろう」と提案した。シャープというのは、鋭いとか尖(とが)ったという意味のほかに賢明とか素早いということも表すと政治は教えてくれた。
徳次もそれは打ってつけの言葉だと賛成し、新製品は「シャープペンシル」と命名された。