私が彼女と初めて会ったのは、81年11月3日に、日比谷野外音楽堂で行われた交通少年団のイベントだった。このイベントにゲストとして松本が登場したのだが、私は小学生時代に交通少年団に入っていたこともあって、町会の役員に現場に連れて行ってもらい、ここでデビュー曲の『センチメンタル・ジャーニー』を生で聞くことができたのだ。この現場は、一般の人の入場が無かったこともあり、かなりレアなイベントで、私自身も「これオイシイ」とちょっと嬉しい気持ちになっていた。
82年になると本格的に多くのアイドルがデビューしてきて、私は堀ちえみに夢中になっていたのだが、音楽祭や公開収録などで行くと、高い確率で松本が出演しているので、次第に気になる存在になっていった。とにかく一番のインパクトは『センチメンタル・ジャーニー』の歌詞でもある。「伊代はまだ16だから」のフレーズが常に頭に残り、完全に松本マジックにハマっていった自分がいた。デビュー曲からインパクトを残し、新曲を出すたびに『ザ・ベストテン』(TBS系)にもランクイン。そんな人気者になっても、出待ちをしているファンに対しても、必ず感謝の気持ちとして会釈をしてスタジオを後にしていたのが印象的だった。
アイドルとしての人気も上がり、松本が高校を卒業して大学に進学をすることになった。女子大生になったと同時に『オールナイトフジ』(フジテレビ系)の司会に抜擢されて、これまでと違ったフィールドに飛び込んできた。片岡鶴太郎と一緒に司会をするのだが、ここで今では伝説となっているハプニングが起きたのだ。松本に書いたエッセーの宣伝をするようにと片岡に話しを振られると「まだ読んでいないんです」と生放送でまさかの発言が飛び出してしまった。この時には発言を否定していたが、後にゴーストライターが書いたことを告白した。この発言をキッカケかどうかわからないが、この頃からアイドルからタレントへと上手くシフトしていった感じである。
その頃の私はというと『夕やけニャンニャン』(フジテレビ系)に、素人ながらレギュラー出演していた時期でもあったので、当時レギュラー出演をしていた松本と久々の再会を果たすことになった。『オールナイトフジ』の一件もあった後でもあるので、個人的にこの再会はかなり嬉しかった。以降も現場で頻繁に会うようになって、かなり出遅れた感じだが、松本がオレの気になる存在になっていた。
高校を卒業した87年の春には、私は芸人となって活動することになるのだが、ここから松本と会う機会も増えて嬉しかった。さらに芸人として密かに出たかった松本が伝説を残した『オールナイトフジ』に出演することが決まり、これもかなり嬉しいことだった。しかしその時には既に司会は変わってしまい、残念なことに松本は番組にはいなかった。ちなみにその時の司会はB21スペシャルだった。番組ではヒロミさんに色々と突っ込まれながらいじってもらった。偶然ではあるが、後の結婚する旦那さんと絡めたことは、今では私の財産のひとつになっている。
私と松本伊代物語の中に、まさかヒロミさんが加わってくるとは夢にも思わなかった。そういう意味では『オールナイトフジ』は、私にとってかなり思い出の深い番組になっている。
あれから20年以上の月日が経っているが、2人とは別々に会う機会はあったが、2人が揃っているところに未だに遭遇していないので、いつか2人揃ったところに行ってみたいと思う。できることなら昔話で花を咲かせたい。果たしてそんな日は来るかな。
(ブレーメン大島=毎週土曜日に掲載)
【ブレーメン大島】
小学生の頃からアイドル現場に通い、高校時代は『夕やけニャンニャン』に素人ながらレギュラーで出演。同番組の「夕ニャン大相撲」では元レスリング部のテクニックを駆使して、暴れまわった。高校卒業後は芸人、プロレスのリングアナウンサー、放送作家として活動。現在は「プロのアイドルヲタク」としてアイドルをメインに取材するほか、かつて広島カープの応援団にも所属していたほどの熱狂的ファンとしての顔や、自称日本で唯一の盆踊りヲタとしの顔を持つことから、全国を飛び回る生活を送っている。最近、気になるアイドルはNMB48の三田麻央。